“物語的シナリオ”から“シナリオの物語化”への発想転換【クトゥルフ神話TRPG】
これまでクローズドサークルを舞台にしたシナリオや、逆に街を舞台にしたオープンシナリオについて、技能の利用に軸を置いたシナリオ構築法を提案してきました。
これらの方法では、シナリオをシナリオとして完成させることに主眼を置き、システマティックに書き上げることを優先しています。それゆえ、物語としての味わい深さや演出の妙などについては何の提案も含まれていませんでした。
しかしどうやら、オリジナルシナリオを作りたい方々にとって、最も需要があるのは物語をベースにした物語的シナリオ作りの方法です。より物語を面白くし、プレイヤーを引き込み、事件の解決のために知恵を絞らせる、そういう力のあるシナリオを書きたいという方が多いのではないでしょうか。
本日はそうしたニーズを意識しつつ、私なりの考察を行おうと思います。
結論として見えてくるのは、シナリオに物語を織り込むのではなく、セッションを通じて物語を生み出すシナリオを作るという発想を持つことの重要性です。
独りよがりの物語
物語をシナリオに落とし込もうとするとき、一番初めに陥ってしまう失敗は「物語が独りよがりになること」です。NPCと物語の都合が探索者たちの行動より優先され、プレイヤーは物語の本筋に関与することなくただの傍観者になってしまった挙句、シナリオを用意したKPだけが物語を読み上げていく展開に陥る…これが最悪の「独りよがりの物語」です。
一般には、こうしたシナリオとキーパリングは「吟遊」と言われていて、嫌われる要素の一つとされています。物語を前提にしたシナリオを作るとき、もっとも意識する必要があるのは、この陥穽にかからないようにするということです。
ヒーローはプレイヤー
そこで必要なのが「ヒーローはプレイヤーキャラクターである」という意識です。どんなに魅力的なNPCを動かしたくとも、どんなに素晴らしい物語が浮かんでいようとも、プレイヤーの発想を超えてしまってはならないのです。
小説やアニメや舞台や映画と違って、TRPGシナリオではプレイヤーが主人公を演じます。それはシナリオライターが思うような完璧な主人公ではありません。かっこいいセリフも思うように言ってくれないし、勇気ある行動のひとつも取ってくれないかもしれません。それでも、それがそのプレイヤーの織りなす物語なのです。
この発想はシナリオを作成する段階から重要になります。つまり、物語をベースにしてシナリオを執筆する場合にも、物語には複数の展開と着地点が用意されてしかるべきです。そしてその全ての展開を愛さなければならないのです。
物語というよりは舞台装置
このことが意味するのは「プレイヤーの数だけ物語がある」というゲームシナリオの特殊な条件です。プレイヤーキャラクターが変わるたびに物語の内容は変化します。その様々な物語を内包しているのがシナリオなのです。
つまり、たった一つの優秀な物語が刻み込まれたシナリオに比べれば、5つや6つの展開を許容するシナリオの方が、シナリオとしてはいい仕事を果たしてくれるのです。プレイヤーたちは確かに物語を楽しみますが、プレイヤーたちが楽しむのは「プレイヤーが作り上げる物語」なのであって、「キーパーが用意した物語」ではないのです。
シナリオはセッションを通じて物語になる
従って、物語をベースにしたシナリオを書くという行動にはひとつの矛盾が含まれています。すなわち、プレイヤー=主人公が不在であるにもかかわらず物語を書かなければならないという不都合な矛盾です。
具体的に言えば「この場面で主人公が啖呵を切ってボスに殴りかかる!」というような想定をしてはならないことになります。それでも物語としてシナリオを作らなければならないのです。そこで敵に語りかけるキャラクターも想定しなければならないし、忍び寄って暗殺するプレイヤーも想定しなければなりませんし、尻尾を巻いて逃げ出すプレイヤーも想定しなければなりません。本当にそんなことが可能でしょうか?
多くの方(特にリプレイからTRPGシナリオ作りに興味を持った方)に誤解されていると思われますが、結果として実現したセッションとシナリオ資料とは全く異なるものです。TRPGリプレイは物語として楽しむことができますが、TRPGシナリオはその本質として物語とは異なるものです。
“舞台装置であるシナリオ”はセッションを通じて“物語に化ける”のです。
リプレイで見るような物語を再現するためにシナリオを用意しようとすると、どこかで実践とズレが生じてしまいます。物語を楽しみたいという欲求は理解できますが、それならば小説を読んだり書いたりしましょう。TRPGシナリオに必要なのは、プレイヤーたちが織りなす物語を楽しみたいという開けた態度なのです。
物語をベースにシナリオを書くという活動には矛盾が含まれます。それ自体は否定しませんし、見事な誘導によってプレイヤーたちに優れた物語を追体験させられるKPがいることも事実です。しかし少なくとも私について言えば、開かれたシナリオを書くように心がけなければという結論に至った次第です。