TRPGをやりたい!

電源・非電源ゲーム全般の紹介・考察ブログ

プレイヤーを動かす「手段」としての物語

 この問題ずーっと考えてきている気がするのですが、また一歩考えが進んだので整理しておこうと思います。結論を先んじてしまえば、シナリオにおいて物語とはプレイヤーを動かす「手段」であり「目的」ではないということです。

 今回考えが一歩進んだきっかけは、「やさしい狂気のはじめ方」シリーズに新しいライターの方々をお招きして、その方々のシナリオ案を読んで、自分以外の人たちのシナリオの作り方を見てのことです。みなさんそれぞれに個性があったのですが、その中で特に見事にシナリオの設定を提出してくださった方のものを見て、大いに学ぶところがあったのです。

 さて本日は「手段」として物語をとらえたとき、シナリオはどういった方向に発展するのかを考察し、どういったシナリオ形態があり得るのか考察してみようと思います。

 

 

ゲームシナリオにおける物語の使われ方

コンピュータゲームにおける物語

 広く言われることですが、日本のRPGは非常に物語に多くを依存しており、いわゆる一本道の映画的なゲームが多いと言われています。さすがに昨今海外市場が拡大して対応を余儀なくされていますが、これまでのゲーム環境で育った日本のプレイヤーにとって、RPGとはキャラクターの視点から物語を追体験するゲームという認識があるのも事実でしょう。

 その一方で、特にMMORPGの世界ではゲームシナリオに物語性は少なく、昨今のサンドボックスゲームやサバイバルゲームの拡張に伴って一層「特定の世界の中で特定の役割を持って生きる」という側面を強調したRPGも広く受け入れられるようになりつつあります。

 このことは次のことを私たちに教えてくれます。RPGというゲームの本質に「物語」の要素は入っていないということです。物語はなんらかの目的から追加された要素と考えることができるでしょう。必要不可欠なものではなく、ゲームを進めてもらうための装置の一つにすぎないのです。

TRPGの場合どうだろうか

 「物語」をどう定義するかにもよりますが、TRPGの場合にもしばしば物語的な要素が利用されます。困っている人を助けたり、自分の身に起こった堪え難い状況に抵抗してみたり、様々な物語がセッションの中で生まれていることでしょう。プレイヤーはキャラクターの感情を考え、NPCたちと交流しながら物語を推し進めることになります。

 物語が同様に必要不可欠のものでないとすれば、どうして物語という手法が広く運用されているのでしょうか? TRPGであっても将棋や囲碁よろしくダイスのタイミングを指定して、非常にシンプルに物語も何もなくひたすらにダンジョンを攻略してみたりとにかく脱出を目指してみたり、様々な方法が他にもあるはずです。

 この疑問に向き合うことが、物語とシナリオの関係の理解に繋がっていきそうです。

 

 

物語を使って行える3つのこと

ストーリー仕立ての理解

 そもそも物語とは非常に有用な物事の伝達手段です

 しばしば犯罪者の犯罪動機の説明として、無理矢理にでも理由づけをして幼少期から心理的変化を辿り、不可避的に犯罪に陥る物語を構成したテレビ報道やドキュメンタリを見ることができます。ドラマでも犯人は逮捕前に延々動機を語るのが常になっており、それは大抵物語仕立てになっています。

 物事を説明するとき、時間を追って出来事を整理した物語形式による説明と脳内の化学伝達物質の多寡を論じる説明とがあるとしましょう。「なぜあなたは彼を殺したんだ!」という問いかけは、「ドーパミンが増えて冷静な判断を失ったからだ」という答えを求めているのか、「奴は俺を裏切ったんだ!」という答えを求めているのか。おそらく後者でしょう。

 このように、少なくとも合理的で説明可能な現象として他者へ理解させることができる点で、物語は非常に優れた方法と言えます。「なぜ」とか「どうして」と人が問うとき、期待しているのは過去から現在に至る出来事と感情の変遷・経緯です。それがあれば十分に物事が説明されていると考えるからなのでしょう。

 これと同じことがRPGでも活用されています。大小の物語を組み合わせることで、一つ一つの場面でプレイヤーが何をするべきなのかを理解しやすくしているのです。

同じ操作に意味の違いを作る

 一つ一つの場面におけるキャラクターの目標や意図がわかりやすくなることで、副次的な効果を得ることができます。すなわち違うことをやっているように認識させる効果です。

 多くのRPGではやっていることは歩いてエンカウントしてコマンド入力することの繰り返しです。TRPGであっても、そこで行われているのは発言してダイスを振ってGMの演出を聞くことの繰り返しです。

 マンネリ化してしまいそうなこれらの作業で退屈させないように、様々な工夫が凝らされています。マップ(背景画)や敵の画像といった視覚的な変化、BGMとSEの変化はその筆頭に挙げられます。また、敵の行動ルーチンの変化によって戦略変更を迫られるのも、同じ操作に変化を感じさせる有効な手段と言えます。

 それらに加えて、操作に意味の変化を与えているのが物語なのです。同じまっすぐな道を進んでエンカウントした敵を倒す作業であっても、その先で待っているヒロインを助けるためと分かればプレイヤーの心持ちが違います。同じ試合でも決勝戦と練習試合で気分が違うというような効果を意図的に作り出しているわけです。

物語によるプレイヤー制御

 その点、TRPGから物語を排除するのは非常に危険です。展開を理解することが困難なために、もはや物語的理解に執着する必要がないように感じてしまうからです。そんなことではナンセンスとインモラルが横行し、さながらパラノイアかサタスペであるかのような様相を…あれ?

 そうなのです、TRPGにも物語を避けたシステムがあります。それらの特徴として、「プレイヤーはルールの範囲で何をやってもいい」という性質があります。肉体改造だって爆破テロだってなんのその。強盗だって銃の乱射だってどんとこいです。物語を利用しない代わりに、プレイヤーは逸脱の自由を獲得します

 TRPGにおける物語が果たす役割はこの真逆の地点に見えてくることになるでしょう。物語があることによって、プレイヤーは自分の行動を物語的に理解可能なものにする努力目標を課されます。特に理由もなくヒロインを爆殺するといった暴走行為を抑止するのが、物語という手段の持っているもう一つの役割なのです。

 

 

まとめ:手段としての物語

 したがって物語には大きく三つの機能を持ったシナリオ内の手段(ツール)であるとする解釈が現れます。

  1. プレイヤーたちに現在のゲーム進行の意味をわかりやすく伝える手段
  2. セッション中の操作に意味の変化を与えてアクセントをつける手段
  3. プレイヤーたちに理解可能な範囲での行動を促すための手段

 この解釈に基づけば、魅力的な物語を提供しようとする考え方とは違った方向からシナリオ製作に臨むことができそうです。