「秋の足音」とかいう情報で膨れ上がったシナリオの解剖
書いた本人ですら全ての情報を記憶していないシナリオ「秋の足音」を、プレイヤーハンドアウトの学者先生よろしく解剖してみます。「やさしい狂気のはじめ方Vol.3」掲載シナリオで、他2作品と一緒に500円で購入できる有料シナリオです。
解剖とは言ったものの、作者としての僕にできるのは、あのシナリオを書いたときに何を考えていたのかという「コンセプトの解剖」だけで、シナリオ全体を一つ一つ切り分けて語ることはできません。シナリオ解釈はキーパーに委ねたいという僕のわがままかもしれませんが、どうかご了承ください。
- 初期作品の正統後継作品として
- 直接的に影響を与えた2つの非公開作品
- 小結1:調査を楽しむ総当たり型二重化シナリオ
- ドラマチックシーン制
- 小結2:文明と未開の対立を演出した文明開化シナリオ
- 結論:調査を楽しむ総当たり型二重化シナリオで文明と未開のファブリックを見つめる
初期作品の正統後継作品として
そもそも「秋の足音」は他のシナリオとコンセプトが全く違います。この違いを理解するときに重要なのは「楽しい概念の多様性」です。
僕の初期作品(「アンドロイドは名状しがたき夢を見るか?」「肝試しのあと」「忘却の結末(未公開)」)では、プレイヤーが事態を解決できない可能性を十分に予想してシナリオを執筆していました。僕の提供したかった「楽しさ」は、率直に言って「調査の面白さ」でした。
このことは僕が研究者だったという経歴を考えるとわかりやすくなります。僕にとって、新しいことを学び、ものの関連性を発見し、仮説を立てて調査するという過程はそれだけで大変楽しいものでした。この楽しさをゲームとして体験してもらえることに感動していたのです。
多くのシナリオでは「解決できる」が前提とされたり、「キャラクタープレイ」が前提とされたりします。それはヒロイックな物語を前提とする昨今の状況ではやむを得ないのかもしれません。しかし僕は「調査の面白さ」を中核に置いたシナリオの可能性を諦めたくはありませんでした。新しい事実が見えたときの興奮を、プレイヤーと共有したかったのです。
直接的に影響を与えた2つの非公開作品
すでにtwitterでも言及しましたが、リプレイのみが公開されている二つの作品がこのシナリオの形成に関わりました。
ひとつつずつどのように関わったのか詳述しておきます。
小島に潜む巨悪:シナリオギミックの基本コンセプト
「小島に潜む巨悪」は5つの祠の封印をめぐって狂信者と争うシナリオです。従って調査箇所が5つあります。5箇所にはそれぞれのシーンが用意されており、それぞれ得られる情報があります。つまり5箇所を網羅的に調査し、すべての情報を拾うことができればクライマックスにたどり着くシナリオでした。
この構造は直接に「秋の足音」に引き継がれています。同じように集落が5箇所に分散しており、5箇所それぞれにシナリオ進行イベントが用意されており、すべてを調査すれば次に進むということを想定しています。序盤の探索が順不同に進行できるようにセットされているのはこのためです。
だいたい5箇所を2周すれば、ショート版の結末にはたどり着くことができます。1周で基本情報を知った後、キーパーが「神の足跡」を登場させ、発病イベントを順次発生させながら、解決のためのキーアイテムに誘導すれば終了です。
関連:「小島に潜む巨悪」の反省記事
忘却の結末:情報爆発と二重化シナリオ
ここで重要なのが「キーパーが……誘導すれば」という文言です。キーパーが誘導する物語の結末が良い結末とは限りません。このことは「忘却の結末」というシナリオを見ると明らかです。
「忘却の結末」では、生まれ持って歯の生えた忌子を特定の神社に奉納し神に捧げることでエンディングを迎えることができます。キーパーはそれがこの物語の解決手段だとプレイヤーにメタメッセージを発しますが、しばしばプレイヤーはこれを拒絶します。
誰かを傷つける結末を拒否したプレイヤーには、シナリオの第二層が開かれます。調査が開始され、困難に立ち向かい、神話的恐怖の実相に直面します*1。ここにおいて、プレイヤーが主導する物語という広い情報の海が現れます。
このシナリオ構造は直接「秋の足音」に引き継がれています。第一の解決手段で本当に解決するのかと首をかしげたプレイヤーだけが、白蛇の伝説とは全く違う「紅播牙(くばんが)」の伝説に足を踏み入れることができます。このシナリオがショートシナリオとしてもロングシナリオとしても運用できるというのは、結局のところプレイヤーが何を望むのかによってキーパーが応答を変えられるように発生した仕組みなのです。
関連:「忘却の結末」の反省記事
小結1:調査を楽しむ総当たり型二重化シナリオ
技術的な継承関係を整理すると、「調査を楽しむ総当たり型二重化シナリオ」という小結を導くことができます。我ながら狭いニーズに応えようとしてしまったものです。
全ての真相を解き明かしたいなら、プレイヤーたちはああでもないこうでもないと仮説をこねくり回しながら、さながらゲーム内の学者たちになったかのように、全人格的に課題にぶつかる必要があります。ここには「ゲームとして手軽に識者キャラをやりたい」というニーズとは真逆のところにある「困難な問題解決はそれ自体が面白い」という(変態的な)趣味が前提とされているのです。
ドラマチックシーン制
以上のコンセプトの中で、このシナリオ独自に組み込まれたのが「ドラマチックシーン制」です。ハンドアウトそれぞれに見せ場と物語的展開が用意されており、そこで自由にロールプレイができるように配慮されています。
このシステムは基本的にはキャラクタープレイが苦手な人に対する補助を意識して組み込まれました。言い換えれば、キャラクタープレイが得意だったり、物語進行を意識して自らシーン演出できるようなプレイヤーに対しては足枷になりかねません。採用不採用を含めてキーパーが判断する必要があります。
ドラマチックシーン制は、どういったかたちでキャラクタープレイに対する補助になるのでしょうか? このシナリオにおけるドラマチックシーン制のギミックを読み解くためには、「怪異に直面することで価値観が問われる」という考え方を前提としてみましょう。
価値観を問う:科学と伝承が対立する中で
価値観を問うというのは非常に大きなテーマです。しかしこのシナリオには様々な描写によって大きな対立を強調するように工夫が盛り込まれています。大きな対立とはすなわち〈文明vs未開〉です。
文明開化の帝都東京から田舎農村に移動するシーンは、文明=科学の代表者が未開=伝承の支配する土地への移動を象徴しています。伝承を科学によって解明しようとする探索者たちという構図は、このシナリオ全体の物語フレームを決定づけています。
このことを看破することができれば、シーンの演出は極めて容易です。プレイヤーはわざと科学に固執してみせたり、キーパーは村人たちの伝統への執着を滑稽に演出してみせたりすれば、このシナリオの物語構造は強調されます。
関連:科学と伝承が生み出す解明の物語についての疑義
ドラマチックシーンはシナリオの物語と探索者の物語を繋ぐ
しかしこれを看破できないプレイヤーにしてみれば、このシナリオはうまく解釈できないシナリオかもしれません。そこでドラマチックシーン制が用意されました。
科学の信奉者であることが望ましいとされたハンドアウト1、2の科学者たちを例にしてみましょう。怪異に直面することで、彼らはその科学を信奉する姿勢をどう変えたのか(あるいは信念を曲げなかったのか)を表現すれば、自ずと物語が生み出されます。しかもそれは、シナリオの舞台設定に即したまさしく「物語」であり、舞台設定と独立したナンセンスなキャラクター耽溺に陥ることはありません。
しかしドラマチックシーン制はあくまで補助にすぎません。シナリオのテーマに沿ったキャラクタープレイでシナリオを盛り上げたいと考えるプレイヤーが、それをやりやすいようにするための補助にすぎないのです。プレイヤーがそうした趣味を持っていないと判断すれば、このシステムはすべて無視して構いません。
小結2:文明と未開の対立を演出した文明開化シナリオ
したがって、ドラマチックシーン制というシステムはこのシナリオのテーマを描きやすくするために設計されたことが明らかになります。シナリオテーマとはすなわち〈文明vs未開〉であり、言い換えれば〈科学vs伝承〉です。
このテーマを念頭に置くことで、なぜシナリオが二重化されたのかも理解することができます。
第1の解決策では未開=伝承に対して化学物質が回答を提供してくれます。偶然にもその解決策は民間療法的でもあり、伝承は科学によって「説明される」という関係を取ります。したがって結末では、未開は科学によっていずれ説明されるだろうという科学主義の予感が漂うことになります。
しかし一つ化けの皮を剥がし、「紅播牙」の実在可能性に話が及んだとき、間違いなく科学文明は未開伝承に対して敗北します。この敗北を前にして、これまで対立していた二つの価値観〈文明vs未開〉は手を携えて一つの現実を描き出すための両輪へと変貌し始めます。〈科学文明ー未開伝承〉が緩やかに接続され、村民と科学者たちは手を携えて「物事の本当の姿」を見出すために奮闘することができるのです。
この「物事の本当の姿」を見出すための手段が〈科学〉だけでは力不足で〈伝承〉の力も借りなければならないことにこそ、この物語の核心があります。僕がクトゥルフ神話に感じている〈科学と伝承の編み物構造〉をシナリオの中で表現しようとしたのです。
結論:調査を楽しむ総当たり型二重化シナリオで文明と未開のファブリックを見つめる
以上に「秋の足音」の制作コンセプトを整理してみました。いくらか長くなってしまいましたが、語らないままでいるよりは有意義であったように思います。
結論をまとめると、「調査を楽しむ総当たり型二重化シナリオで文明と未開のファブリック(編み物構造)を見つめるシナリオ」となります。なんじゃこりゃ。
僕がこのシナリオを通じて表現したかったのはこのあたりの話です。自分で回すときには以上のことを念頭に、個別のプレイヤーがこの問いかけに対してどういう返答をしてくれるかなというのを楽しみにしながら回しています。人情に流されて解剖学者としての職務より人を救うことを優先したり、圧倒的な不可解性を前に科学者としての立場を忘れて伝承収集を始めたり、人によって様々な対応が見られます。
そういう様々な反応を上述の物語構造〈文明vs未開〉の中で再解釈しつつ、プレイヤーキャラクター個人の物語を演出してあげるプラットフォームとして、「秋の足音」というシナリオを利用することができます。
……つまり文学趣味ですね。
表現意図のある世界の方が好きだというプレイヤーのためのシナリオですので、そのおつもりでご利用いただければと思います。
ずいぶん長くなってしまいましたが、執筆者として説明できるのはここまでかと思います。長々とお読みいただきありがとうございました。
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*1:実際には、「忘却の結末」は三重化されたシナリオだった。忌子の奉納/鬼子の魂の分離による解決/邪神の使いハルカの解放という三つの目標がセッティングされ、どこを目指すのかはプレイヤー次第だった。