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TRPGのトビラをひらこう!

早瀬コウによるクトゥルフ神話TRPGシナリオのおさらい(僕のシナリオに詳しい人向け)

 クトゥルフ神話TRPGのシナリオ公開を始めてからだいたい2年ほどが経ちましたが、僕の公開している全シナリオのマップを作ってみました。現在公開されているのは全23シナリオです。以下の図をご覧ください。

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 概ね上から下に向けて執筆時系列が噛み合うように書かれています。いくつかのシナリオは長期間をかけて書かれているので、多少前後しているものがあります。その場合には技術的な継承関係を優先して配置してみました。

 先日ツイートしたところ、「ナンとカレーなダンスを!」と他のシナリオが僕という同一個人によって書かれたものということが信じられなかったらしく、数名から笑いと驚きの反応をいただきました。この機会に再度宣言しておきますが、これくらいの振れ幅があるのが僕です。どうぞよろしくお願いします。

 

 さて、今日の記事の目的は何かというと、まぁもちろんシナリオの宣伝というのもあるのですが、同時にそれぞれのシナリオの何を反省して次に進んでいるのかという話をしようと思います。

 

 

黎明期からポップシナリオへの移行

情報を集めて量で殴るシナリオ

 僕の周囲には僕のことを初期3作から知っていて、応援してくださる方が思いの外多くて本当に嬉しく感じています。その反面で、その頃を知る方には今の僕がどう見えるのかは不安だったりもします。

最初期のシナリオ公開場所:クトゥルフ神話TRPG - TRPG神々の黄昏

 初期の僕のシナリオの特徴は「キーパーフレンドリー」「システマティック」「ハイ・プレイアビリティ」あたりの横文字全ての頭に「Never」をつけたようなシナリオでした。情報量が多く、キーパーの読み込みにもプレイヤーの理解力にも多大な負荷をかけるシナリオだったのです。

プレイアビリティ概念の発見

 そんななか転換点になったのが「糸に囚われて」および「ナンとカレーなダンスを!」の2作です。

 パニックホラー「糸に囚われて」の執筆では、探索するべき情報がほぼない環境を作りました。ただNPCに対して疑心暗鬼を繰り広げることに集中してもらうために、全てを状況証拠へ落とし込んだのです。結果としてプレイ人数次第でNPCが多くなるという残念さを代償に、情報量で殴らないシナリオが誕生しました。

 このシナリオは過去作に比べて明らかに話題になりました。Twitterでも遊んだ報告を見かけるようになり、プレイしてもらうには適切な情報量があるということを学びます。そしてそれは僕が思うよりも少ないラインで、情報の海に溺れながら全身全霊で謎に立ち向かっていくような難易度ではなさそうだという発見を得ることになります。

ポップだけを集めたTRPGシナリオ館

 そこで僕が何をしたのか? あえて僕の活動からポップなシナリオを切り離す作業を行いました。すなわち「TRPGシナリオ館」の開設です。ここに投稿された「ナンとカレーなダンスを!」はプレイアビリティだけを意識したポップ極振シナリオで、ジョークシナリオとして非常に高い評価を得ることになりました。

 以降、情報量の少ない手頃に遊べるシナリオを「TRPGシナリオ館」に投稿し、力作は「やさしい狂気のはじめ方」シリーズに掲載していただくという現在のスタイルが確立されます。

 

黎明期が生み出した3つのジャンル

「糸に囚われて」がもたらしたもの

 このように「糸に囚われて」に含まれていた2つの要素は僕に別ジャンルを開拓させました。

  • 情報量の少なさ  →  ポップなジョークシナリオの世界
  • クローズド展開  →  クローズドシナリオを通じたシナリオ構造の練習

 この二つの要素は「やさしい狂気のはじめ方」シリーズ1巻目と2巻目に引き継がれています。

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 ポップなジョークシナリオは「ロック・ユー!」という音楽で邪神を撃退するアホなシナリオに結実しました。ダンスで撃退したり音楽で撃退したり、ジョークシナリオの世界は賑やかなものです。

 一方でクローズドシナリオは「わたしは死体」という習作に引き継がれました。1年半ほど前の当時には、まだクローズド人気は高かったため、これを扱えるようにならなければ生き残れんと考えたことを記憶しています。当時の考察を整理した「クローズド構築ノート」シリーズの記事も時折様々な形で言及される人気記事となりました。

「アンドロイドは名状しがたき夢を見るか?」がもたらしたもの

 一方で僕の「ハリウッドのSF映画的なノリで遊びたい」という初期欲求は残っていました。この欲求を爆発させたシナリオが公開されます。情報量とシーン管理の困難さで知られる「トーキョー・インフェルノ」です。「やさしくない『やさしい狂気のはじめ方』でおなじみ」との評がある一方、カルト的な人気というべきか、一部ファンからはそれこそインフェルノのような熱狂的な支持を得ている一作です。

 この作品が一部ファンから(奇妙な形で)人気を得たことは、僕にとって重要なことでした。ジョークシナリオやクローズドシナリオに見られる“プレイアビリティ偏執狂”的な状態から僕を抜け出させてくれたからです。

 

サークルメンバーからの影響の中で

 このあたりまで独立独歩の我が道を行くライターだったのですが、ここで「ねずぷろ」の仲間たちの作品を読むようになります。

白ねずみさん作「時計屋敷の秘密」に導かれて:「橙色燈火」の誕生

 「やさしい狂気のはじめ方Vol.1」に収録されている「時計屋敷の秘密」は、独特の雰囲気を持ったシナリオとして多くの方に愛されています。これを読んだとき、自分のシナリオにはない要素を感じ取った僕は、RPに耽溺できる雰囲気を意識したシナリオを僕も書いてみたいと感じました。

 そこで僕は「橙色燈火」の構想を書き上げました。これにはもう一つの事情もありました。「やさしい狂気のはじめ方Vol.2」に白ねずみさんが寄稿しないと聞き、「誰かがあの雰囲気の代わりをしないと、継続して買ってくれるファンに申し訳ない」と考えたからです。

 結果として書き上げられた「橙色燈火」は、僕のライティングの幅を大いに広げてくれました。とはいえ、影響下で書かれた技術的には未消化の一作という僕の内心の評価も覆すことはできません。日が経つにつれて、このわだかまりは次のシナリオの執筆意欲へと結実していきますが、それはもう少し後の話です。

「死絡み」:きつねさんとのペアライティング

 同時期に進めていた企画が「ペアシナリオライティングシリーズ」でした。当時サークルメンバーだったきつねさんと二人で一つのシナリオを書いてみたのです。

 その模様はこのブログで記事として連載していました*1。読み進めているうちに、僕の作品をよく知る方ならすぐに気づくことでしょう。二人で書いた作品はクローズドパズルシナリオとしては異例の完成度を持った(と自認する)「死絡みーシガラミー」でした。

 「糸に囚われて」や「わたしは死体」の時代には次の問題に悩まされていました。すなわちクローズドシナリオでは調査手段が限定されるため推奨技能設定がほとんど不可欠であるという制限です。

 しかし「死絡み」ではこれをシナリオギミックによって克服し、推奨技能の存在しない真に自由な「目覚めたらクローズドもの」が完成しました。このシナリオは「目覚めたらクローズドもの」では一つの到達点に達しているように思います。

 

技術的挑戦を試みる

 以上のシナリオライティングを通じて、すでに三つのシナリオジャンルが明らかに分化していました。

  1. ストーリー系シナリオ(映画系シナリオ)
  2. クローズドシナリオ
  3. ジョークシナリオ(情報量の少ないポップシナリオ)

分化した技術の再統合と限界への挑戦

 このまま3種類を書き続けることもできたのかもしれませんが、僕はここで自分の現在の実力の上限を知りたくなりました。全身全霊を書けて一つのシナリオを執筆してみることにしたのです。こう聞けば、僕のことに詳しい人はあるシナリオに思い当たることでしょう。

 情報を集めて物理で叩くシナリオ「アンドロイドは名状しがたき夢を見るか?」よりも遊びにくかった「トーキョーインフェルノ」よりも複雑で制御し難い「秋の足音」がここにおいて登場します。おそらく読者が抱く率直な感想は「すごい、けど遊べない」というシナリオとしては意味のわからないもので、それは僕自身少しは予想していたものでした。

シナリオの「追体験」から「体験」へ

 僕の思うクトゥルフ神話の世界を全力で表現したという意味で、初期2作「アンドロイドは名状しがたき夢を見るか?」と「肝試しのあと」の正統後継作品の位置にある作品です。自分自身のキーパリングするシナリオとして、ここまで高度なものが扱えるようになったのだという自覚はできたものの、同時にこれはどこか目指すべき方向とは違うということを学びなおすいい機会にもなりました。

 しかしこの挑戦で得た技術的向上は確かな手応えのあるものでした。情報を利用してプレイヤーをコントロールし、プレイヤーの自発意志に大部分を委ねながらそれをドラマに変貌させるという発想法を得たのです。シナリオを「追体験」から「体験」へと変貌させる重要な契機となる発想です。

 そんなときに、「やさしい狂気のはじめ方Vol.3」に原稿が足りていないという話をもらいます。そこで「情報量を減らした『秋の足音』と同じコンセプトのポップ作品を作る」という次の挑戦に乗り出します。

不条理とぶん投げの向こう側にあるPLの楽園

 当時の僕にはすでに二つの不条理シナリオがありました。一つ目はすでに紹介した共作「死絡み」。もう一つはブログで公開されている「狂惑の輪廻」です。いずれも極端な不条理の中にプレイヤーを配置し、その中で人格的闘争を行うシナリオとして設計されていました。

 実際、「死絡み」をはじめ「目覚めたらクローズド」は不条理の最たるものです。プレイヤーに対して「箱の中の自由」という制限を与え、キーパーは描写だけをしてプレイヤーの行動宣言を待っています。

 この「プレイヤーの行動宣言を待つ」という構えができるのは、そこに不条理と目的意識があるからです。そして僕はこの「箱の中の自由」から「箱」を取り去る覚悟をします。いうなれば「目が覚めたらオープン」。プレイヤーの行動宣言がなければ進まず、物語の主導権を全てプレイヤーに差し出してしまう……そんな発想と「秋の足音」で得た「体験」の技術が結びついたとき、化学反応が生じました。

 PLの楽園「狼をめぐる冒険」の誕生です。問題を解決するか否かまでプレイヤーに委任した自由放埓なシナリオスタイルで、キャラクタープレイを渇望していた多くのプレイヤーからの喝采に近い高評価をいただきました。

 

近作の課題意識と続く挑戦

KP主導の物語にPLを引き込む技術

 では圧倒的な不条理によってプレイヤーに自由な抵抗を一任するスタイルだけが理想なのでしょうか? 僕はそうは思いません。たしかにこれを歓迎するプレイヤーも多いと思いますが、その一方で物語のあるシナリオを望むニーズもたしかに存在するはずです。

 そこで僕はもう一度「橙色燈火」と向き合うことにしました。あのとき消化不良だったKP主導の物語を作る技術も、今なら解決できるかもしれないと感じたのです。いうなればリベンジ。だからこそ、舞台は同じ架空の街・旧原崎町の原崎中学校を選びました。

 どこからどこまでをキーパーが誘導し、どこからどこまでをプレイヤーの自由に委ね、限られた自由の中でどう物語に収束させるのか。さらには僕の苦手だったキャラクターの感情表現という課題にもここで向き合います。プレイヤーの「体験」を生み出すことが目的であるなら、その「体験」をデザインすることがシナリオライターにはできるはずです。

 結果として書かれた「さよなら、マボロシ」は、信頼性の高いシナリオ構造とキャラクタープレイを意識した自由行動の多さ、厚みのある物語に結末の多様性というこれまでの技術を結集した作品に仕上がったのです。

不条理の向こう側にある「現代神話」

 そして再び、「やさしい狂気のはじめ方Vol.4」に原稿が足りないという話が舞い込みました。このシリーズは僕にとって常によい挑戦の機会を提供してくれます。そこで執筆することにしたのが、不条理の向こう側を表現しようという意図で書かれた尖りに尖ったシナリオ「ボタニカル・パレード」です。

 このシナリオについて「やさしい狂気のはじめ方Vol.4」の「あとがたり」では、「意味のわからないシナリオにした」と説明しています。しかし実際には全て意図的に配置され、演出され、そして結果として読者やプレイヤーにはトチ狂った発想に見えるはずだと考えて設計されたのが「ボタニカル・パレード」です。直接的に言えば、読み終わったときに胸の奥でもやもやっと湧き上がる「なんか変なものを見てしまった」という感情こそ、僕の狙ったものだったのです。

 うさぎ人間のパレードというマッド極まるこのシナリオは、僕のこれからのシナリオライティングの方向性を示すシナリオです。そのキーワードは「現代神話」というものになるのではないかと僕はおぼろげに考えています。

自由な恐怖体験のデザインを目指す

 現在企画を進めているシナリオは4つあります。全てのシナリオが「体験」「自由」「物語」そして忘れてはならない「遊びやすさ」を意識したシナリオです。これらの基礎概念を身を以て学習するのに2年もかかってしまいましたが、そのおかげで様々な表現ができるようになってきたと実感しています。

 今回TRPGシナリオにおける問題意識を整理したくてこのような記事を書きましたが、僕のシナリオで楽しんでくださるみなさんにお伝えしたいのは、実は次の短いメッセージだけです。

 

 これからも皆さんのご期待に添えるように、たくさんのシナリオを執筆してまいりますので、どうぞ楽しいTRPGライフをお過ごしください。そして今後とも、内気な僕ではありますが、時折Twitterなどで交流していただけると嬉しく思います。

*1:後半が書けていないのですが、それはパートナーのきつねさんと連絡がとれなくなってしまったという悲しい事情もあったりします。