TRPGをやりたい!

電源・非電源ゲーム全般の紹介・考察ブログ

【ゼロから始めるゲーム作り〜TRPG編〜】第7回 ゲームの多重化とその弊害の処理

 役割を作るために利用されている大きく二つのシステムを紹介しました。判定ひとつひとつを選択するスキル制と、幾つかの判定を束ねたクラスを選択するクラス制に大別され、それぞれに利点と欠点があることが整理されました。

trpg.hatenablog.com

 その最後に予告したのが、ゲームの多重化について扱うという話でした。

 そもそもゲームの多重化とはどういうことでしょうか? 一般的に表現すれば、キャラクターがもつ役割がゲームの途中で変化するような現象が発生するとき、ゲームが多重化されているとみなします。これはゲーム内に複数の〈ゲーム〉が配置されていることを意味しており、従ってゲームそれ自体が多重化されているとみなします。

 

 何を言っているのかよく伝わらないと思うので、丁寧に論じていきましょう。

 

 

ゲームと〈ゲーム〉の呼び分けについて

シーンの切り替えはゲームの多重化ではない

 TRPGではよくあることですが、ゲーム内で探索のシーンと戦闘のシーンとに大きく分かれることがあります。このときゲーム内で要求される役割の内容が全く変わってしまうことがあります。

 

 このようにプレイヤーが取り組む内容と利用する判定の種類が大きく組み替えられるとき、それをゲームの多重化と……呼びません。

 

 ゲームの多重化を定義するためにはより厳密に考える必要があります。そもそも利用する判定の種類はGMが次の判定を要求するたびに変更されています。そのシーンひとつひとつを区切ってゲームの多重化と呼んでいてはきりがありません。

 通常のシーンは、プレイヤーたちに役割分担の適切さを問いかけるものです。あるシーンで交渉技能の担当者がいるか問いかけ、次のシーンで調査技能の担当者がいるかを問いかけ、その次のシーンでは戦闘技能の担当者がいるかを問いかける……そのようなものがシーンです*1

〈ゲーム〉が変わるとき

 シーンと〈ゲーム〉の違いは、同じ役割分担表を参照するかしないかにあります。異なる役割分担表を参照することで、それぞれのキャラクターは二つの役割分担表でそれぞれに役割を持つように作る必要が生じます。

 たとえばソード・ワールド2.0では探索のプロセスで利用されるクラスと戦闘のプロセスで利用されるクラスは完全に異なっています。探索時の役割分担表には3つのクラスが置かれ、戦闘時の役割分担表には9つのクラスが載せられています(補助的な技能は除く)。

 あるいはダブルクロスでも二つの〈ゲーム〉が設置されています。探索で利用される〈情報:〜〉〈知識:〜〉は戦闘時には一切参照されないスキルです。それぞれ〈〜〉の部分に一定のリストがあり、プレイヤー間での分担を要求しています。

 以上のように、異なる役割分担表を参照する〈ゲーム〉が、ひとつのゲームシステム内に複数組み込まれているとき、これを「ゲームの多重化」と呼びます。

 

いい多重化と悪い多重化

 しかしこの「ゲームの多重化」というシステムは扱いが非常に厄介なものです。たとえば次のようなシステムを考えてみましょう。

悪い多重化の例

 このゲームはあらゆるプロセスを徹底的にロールプレイによって克服することを目指したゲームです。主に調査フェイズと交渉フェイズと戦闘フェイズがあり、キャラクターはそれぞれのシーンで異なる役割分担表から担当役割を選ぶことが期待されます。
 それぞれのフェイズには12つのクラスが用意されており、キャラクターの初期作成時には、プレイヤーは合計36個のクラスから2つを選択して習得します。

 これは明らかに失敗しています。なぜ失敗と言えるのか、その理由を考えながら、多重化を利用する際に必要な配慮を整理していきましょう。

必ず参加できなければ多重化は失敗

 多重化により〈ゲーム〉が二つ用意されると、〈ゲーム〉によってプレイヤーの立場が変化します。あるときは補助的な立場、あるときはメインアタッカーになり、また違うときには防御役にならねばならないという変化を生み出すのがゲームの多重化です。

 このときキャラクターはそれぞれの〈ゲーム〉において役割を持っていることが前提とされています。たとえば戦闘用クラスを持たないキャラクターが生まれてしまうと、そのキャラクターは〈戦闘ゲーム〉の間なにもできなくなってしまいます*2

 したがって、先ほどの例で「3つのフェイズ」があるのに「2つのクラスを選ぶ」と書かれたシステムは完全に失敗です。これでは特定のフェイズでは一切参加できないプレイヤーが現れてしまうため、ゲームの多重化がもつ「キャラクターの立場が変化する」という特徴を活用できません。誰かを退場させ、誰かを入場させるような装置として誤った働きをしてしまうのです。

多重化は情報量が増えるという弊害を持つ

 是非とも注意が必要な要素に、情報量の肥大化があります。

多重化の弊害を把握しておく

 基本的なTRPGでは〈ゲーム〉は一つしかなく、たった一つの役割を担えばそれでキャラクターは活躍することができます。一方で多重化を行えば、〈ゲーム〉ひとつにつき一つの役割を担わなければなりません。ほとんど不可避的に、情報量は2倍になってしまうのです。

 それゆえ、先ほどの例で「36個のクラス」を参照しなければならないという点には眉をひそめなければなりません。それぞれの情報量にもよるためこれだけでは判断できませんが、注意が必要です。

情報量を管理した多重化の基本

 情報量が過多に陥らないために、それぞれの〈ゲーム〉で重要度と複雑さを軽減するという基本的な技法があります。

 例を見るのが最もわかりやすいでしょう。ソード・ワールド2.0では戦闘のために技能が9つありますが、探索のためには3つしかありません。二つの〈ゲーム〉がありますが、プレイヤーの処理する情報量は2倍にはなっていないことが数値的にも明らかです。

 ダブルクロス3rdではこれとは異なる方法で情報量を削っています。すなわち戦闘においてはアビリティ(システム内用語ではシンドローム別に習得するエフェクトのこと)を数十から選択し組み合わせる必要がありますが、探索では8つほどのリストからひとつからふたつを選んで配点するだけで終了です。

 いずれの例でも〈ゲーム〉の進行ルールの複雑さも大きく異なっており、遊んだことのある人ならとても「情報量が2倍になっている」とは言えないことに同意していただけるはずです。

 

まとめ:多重化と同時にメインの〈ゲーム〉を決めよう

 以上の整理から見えてくるのは、ゲームの多重化が決して〈ゲーム〉の並置ではないということです。どれだけゲームを多重化しようとも、メインとなる〈ゲーム〉はひとつです。サブの〈ゲーム〉はあくまでサブにとどまり、情報量や進行処理も簡易化されています。

 したがってゲームを多重化する場合に忘れてはならないのは、そのゲームがどの〈ゲーム〉を中核にしたゲームであるのかという点です。ひとつの〈メインゲーム〉とそれに従属した複数の〈サブゲーム〉の組み合わせとしてゲーム全体を捉え直し、その構造がデータやシステム設計として、プレイヤーに自ずと伝わるように意識しなければなりません。

 

次回へ向けて

 このタイミングでゲームの多重化を論じたのは、役割分担形成にさらなる多様性が存在することを示すためでした。この議論の延長線上に、戦闘役割やアビリティ制についての議論を行うことができます。

 戦闘役割やアビリティ制は、いずれも〈メインゲーム〉として利用できるシステムです。クラス制やスキル制と比べても、いずれも複雑さを大きく高めてしまうシステムだからです。

 次回は先にアビリティ制による役割分担について整理し、その後役割分担の議論を一度離れて、リソースと意思決定を論じた後に、戦闘役割について議論することにします。

*1:ここでいう「シーン」は演出を重視した場合のシーンとは異なり、ゲームとして考えた際の区分として利用されています。

*2:多重化されたゲームとされていないゲームの最たる違いはこの点にあります。調査技能や交渉技能と並列して戦闘技能が配置されているようなゲームでは、戦闘はあくまで調査や交渉などと並列されるシーンにすぎません。戦闘技能と戦闘ルールが丁寧に整備され、〈戦闘ゲーム〉内での役割分担が意識されたシステムならば、戦闘はそれ自体が〈ゲーム〉であり、プレイヤーたちに異なる役割分担表に基づいた異なる動きを強いるだけの「強度」があります。