TRPGをやりたい!

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CRPG的移動からTRPG的移動についての反省的考察

セッション内で移動の処理を行うとき、みなさんはどのように処理しているでしょうか?

一般的にTRPGでは、移動の場面は完全にカットされます。移動中にイベントが発生する場合にはなんらかの処理を挟むかもしれませんが、イベントが発生しないなら、移動先に瞬時に移動してしまうのが一般的です。

 

これに対して、コンピューターRPG(以下CRPG)では、どういうわけが移動中もコマンド入力を要求します。一歩一歩プレイヤーの手で移動させなければ目的地に到達できないものの方が多いのは、考えても見れば奇妙な特徴です。

 

今回はこの違いに注目しながら、TRPGにおける移動処理をどうやってゲーム化できるのかを論じてみようと思います。

 

 

移動は“追加要素”だった

忘れがちなことですが、TRPG後にCRPGが発達しました。つまり、今日の私たちが経験するような、CRPGに慣れてからアナログ版としてのTRPGに出会うという順番は、TRPGの発展史を考える上で不適切です。今日のCRPGで展開される方向キーの長時間入力による移動処理は、TRPGの時代にはなかった要素として“加えられた”のだという視点は忘れないようにしましょう。

さて、ではいつから加えられたのでしょうか? 実は最初期のCRPG、アカラベスやウィザードリィの段階で、すでにマップ探索がRPGというゲームの主要な課題の一つとなっています。ともにダンジョン踏破型のゲームであり、プレイヤーはダンジョン内をひたすら移動しなければなりません。

 

 

移動が追加された理由の推測

なぜ移動しなければならなかったのでしょうか?

それは複合的な理由によるとおもわれます。

RPGはストーリーのためのものではなかった

逆にこう問うてみましょう。「移動をしないで、RPGの何を楽しんでいるのか」と。

多様な返答がありえますが、その答えは概ね二つの回答に集約されます。第一には、戦闘を楽しんでいるのだという回答。もう一つは物語を楽しんでいるのだという回答。それぞれもっともな主張です。

初期のRPGに特徴的なのは、ストーリーが存在せず、ダンジョンをクリアすることそれ事態が目的であったという点です。つまり、シーンをカットすることで物語をスピーディに楽しもうという発想それ自体が、新たに生み出された発想法だったのです。

ファンタジー世界に入ること自体がロマン

そのうえ、RPG初期の時代には(あるいは今日でも)この世に存在しないどこかの光景を前に、自分の指示に従ってその中を移動する経験は興奮させられるものだったのかもしれません。もちろん、慣れてしまえばその作業はいくらかストレスにもなったことでしょう。しかし、今日まで移動の要素を根本的に取り払ったRPGを見かけないことからも、移動しながらファンタジー世界の光景を見るのがどれだけ楽しさを提供しているのかをうかがい知ることができます。

コマンド式ではダンジョンじゃない

もう一つの理由は、当時のRPGが志向していたダンジョンクリアという目標が、コマンド入力と相性が悪かったからだと思われます。

それもそのはずで、初めから調べられる対象がコマンドとして表示されていたら、随分と興が削がれます。視野の限界と移動経路の途中に仕掛けられた罠などの可能性、そういった要素が加わって初めて、ダンジョンに緊張感が生まれます。

インタラクティブ性と没入感

そして最大の理由は、ゲーム性の最大の特徴であるインタラクティブ性だと思われます。ゲーム内世界がプレイヤーの呼びかけに応答してくれる関係こそ、ゲームの要だとしばしば論じられます。こちらの呼びかけを無視してゲームが進行すれば、小説や映画と何も変わらないのですから。

この性質をもっともたやすく確保する方法は、ゲーム内世界の一人のキャラクターの操作をプレイヤーに委ねることです。ゲーム内に設定されたすべてのイベントのトリガーがプレイヤーキャラクターの動作に結びつけられれば、世界はいつもプレイヤーに対し応答します。

 

 

TRPGにとって移動とは何か

さて、CRPGにおける移動の発生と、移動が愛用されている理由を私なりに整理することができました。では、今日のTRPGにとって移動とはなんなのでしょうか?

 

初期のRPGとこんにちのRPGの最大の違いは、物語性を含むことです。移動シーンをすべてカットして、場合によっては戦闘シーンまで全部カットして、物語を知りたいという需要もなきにしもあらずだと思っています。ダンジョンの物理的(に見せかけたプログラム上の)トリックを解き明かし最深部のお宝を目指すのが初期のRPGだったのだとすれば、街とダンジョンと自然地形全体にわたって張り巡らされた物理的・人為的(に見せかけたプログラム上の)トリックを解き明かすのが現在のRPGなのです。

この変化の余波からTRPGにも物語に対する需要が生まれつつあり、小説とは違った媒体としてTRPGが親しまれているのが現状でしょう。

 

とすると、こんにちのTRPGにとって移動は二つの意味で障害です。

第一には、TRPGにおける移動には「(2)ファンタジー世界に入ることそれ自体がロマン」の要素が欠けています。すでにCRPGで大いに発達したこの要素は、完全にTRPGでは引けを取ってしまいます。

第二には、「(4)インタラクティブ性」の性質が違うため好まれません。CRPGならば、プレイヤーがスティックを前に倒せばキャラクターが前に進むというだけで、インタラクティブです。しかし、TRPGでは移動に際してプレイヤーがすることは「目的地まで移動します」という宣言だけです。ほんの数歩なら大差ありませんが、街から街までの長大な移動を考えれば、この違いは大きく響いてきます。風景描写も何もかも、プレイヤーはただ受動的に聞かされるだけで、それはインタラクティブ性を欠いており“ゲームではない”からです。

 

したがって、TRPGに「移動」を組み込むことは、ゲームを面倒なものにさせるとしても、あまり面白いものにしてはくれないようだ、という結論が導かれます。

 

 

移動をゲーム化する?

しかしシンプルなショートシナリオでは、目的地に行ってボスを殴っておしまいというだけのシナリオも考えられます。こうした場合、ただの闘技場シナリオとなんら変わりなくなり、移動を省略したことが却ってゲームをつまらなくさせる恐れがあります。

 

では、TRPGにおける「楽しめる移動」とはなんなのでしょうか?

 

逆に考えてみましょう。

移動がインタラクティブに展開されれば、それはゲームとして魅了を取り戻してくれます。TRPGにおけるインタラクティブには二種類があり、第一には判定操作を挟むこと、第二にはプレイヤーの行動宣言を挟むことです。もちろんこれらのアクションを引き出すためには、いわゆるイベントを設置しなければなりません。

 

「A地点からB地点まで移動する」ことの中に、どれだけのゲームを組み込めるかはシナリオライターの腕次第です。「B地点までの地図を手に入れる」「A地点を封鎖している衛兵をどうにかする」「三つのリスクの違う経路の情報を集める」そういった事前処理をこそ、TRPGにおけるゲーム的な移動とみなしましょう。

A地点からB地点まで移動することを目標に行われたアクションのすべてが、TRPG的移動に他ならないのです。それはキャラクターたちが実際に移動している間に行われるアクションの量とは無関係であり、言い換えれば次のようにも考えることができます。

 

TRPGにおける移動とは、マップ内の地点間の移動ではなく、目的とする状態への遷移を意味します。つまり「状態A」から「状態B」を目指して活動する過程を「TRPG的な移動」と考えることができるのです。

実際にキャラクターたちが「A地点からB地点まで移動する」場面はこの「TRPG的移動」のほんの一部を占めているにすぎません。この発想法を持てば、シナリオの中身をまた一つ豊かにできるのではないでしょうか?