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TRPGをルールブックなしで遊ぶのは悪いことなの?

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 こんにちは。定期的にTwitterで話題になる「ルールブック未所持(不所持)問題」について、TRPGブログ運営として何か記事を出そうとついに思い立ちました。
 そうはいっても、僕の主張は極めてシンプルです。要約すると次のようになります。

「卓の全員と一緒に楽しみたいなら、ルールブックを買って読み込むに越したことはない」

 僕は“買え”とか“絶対に買っていないとプレイしてはならない”とまでは主張しません。ただ、“買って読み込むに越したことはない”とは主張します。なぜそのような主張になるのかを丁寧に解説していきます。

所持・不所持は問題じゃない

 そもそも「ルールブック未所持(不所持)問題」というフレーム設定には違和感が伴われます。この言葉では「ルールブックを持っている(買っている)か否か」が問題であるかのように誤解されはしないでしょうか。

産業維持のための購入?

 この誤解は、ある主張を招きました。すなわち「TRPG産業を維持するために購入が必要だ」という主張です。たしかに目標地点が「買うこと」であるなら、そのお金の動きに意味を見出すほかありません。そこで「自分の購入がTRPG産業を維持させているのだ」という、針小棒大な虚飾が生まれました。

 もちろん、この主張が当てはまる領域もあります。同人出版のルールブックでは、同じ趣味を共有した人々がサークルの活動を維持するために購入する必要があります。同人誌の価格にはその趣味を維持するための運営費が含まれていて、少なくともそのシステム・趣味の継続を支える支出に他なりません

 しかし商業TRPGに話を限定するとき、私たちはあくまで消費者です。同好の人々が集まって「公式にお布施すると思ってルルブを買おう」という論理を話すことを止めはしませんし、実際それは素晴らしい意識だとは思います。しかし、そうした意識を一般消費者にまで求めるのは過剰でしょう*1

 そもそもライトなプレイヤーは、業界が維持されてほしいと考えるほど好きなわけではなく、ただその一つのゲームで遊べればそれでいいのです。そうした人に購入を勧める理由がない以上、この主張はまるで的外れになってしまいます。忘れてはならないのは、僕たちはあくまで「自分の(効用の)ために消費をする」という経済上の原則です*2

「ルールブックは持ってます」

 では「自分のための消費行動」として、ルールブックの購入はどれほどの意義を持っているでしょうか?

 ルールブック未所持問題がこれだけ度々話題になることから、一つ目の効果があります。すなわち「ルールブックは持ってます」と口に出せることです。その言葉は幾らかの人の溜飲を下げる効果を持つかもしれませんし、炎上や晒しを回避する効果を持っているかもしれません。あるいはオンラインの募集の参加条件を満たせるかもしれません。それはいわば現代の免罪符で、数千円でルールブックを購入すれば、オンラインでのトラブルを回避することができるわけです。

 しかしただそれが目的なのであれば、すぐに偽装することができます。誰かがアップロードしたルールブックの表紙画像を引っ張ってきて、「ルールブックは持ってます」と書き込むだけで偽装は完成です。つまりこの効果だけがルールブック購入の意義であるなら、やはりルールブックを買わないというのも消費者として当然起こりうる行動選択肢の一つなのです*3

ルールブックは読むことに意義がある

 そこで重要になるのが、ルールブックを読むことです。あれだけのページ数があって、本棚に飾ってあるか否かだけが問題だと主張するのは、むしろ製作者側への冒涜です。私たちが本当に問題にするべきなのは、「ルールブック不読問題」の方に他なりません

ルールブック購入は一つの手段

 ルールブック不読問題というフレームで議論するとき、ルールブックの購入はひとつの手段に過ぎません。ルールブックに目を通すためには相応の時間が必要で、それだけの長い時間手元にルールブックを置いておく方法として、購入という手段が採用されます。

 強調しておきますが、購入はあくまで一つの手段です。たとえば友人に「今週読みたいから借りていい?」ができるなら、「ルールブックに目を通す」という目的は達成されます。あるいは(そういう奇特なところがあったとして)図書館で借りられるなら、それもまた購入と同じく受け容れられるべき手段です。

 みなさんご存知の通り、小説や実用書でこれらの方法は禁止されていません。同じ出版というモデルでビジネスを展開している以上、商業上の理由でルールブックだけはこれを禁止するというのもおかしな話です。これが原因でビジネスに失敗するならば、その責任は消費者側ではなく生産者側の責任というのが経済上の原則だからです。

購入は高い利便性を保証する

 以上を認めたうえでもなお、僕は購入することを強く勧めます。なぜなら購入という手段は最も利便性が高い方法だからです。ルールブックには相応の厚みがあり、掲載されている情報もかなりの量にのぼります。友人や図書館から2週間借りた程度では到底暗記できませんし、ゲームマスターとしてセッションに臨む場合、慣れないうちは準備期間はたいてい2週間より長くなります。

 その点、もしルールブックを購入していれば、いつでも何度でも遊ぶことができます。特定のシステムで遊びたいと思うたびに、ルールブックを持っている友人の家に行ってルールブックを借り、参照しながらシナリオを作って、ルールブックを返してキャラクターを作ってもらって……という手順をとるのは明らかに手間が嵩みます。

 思いついたときにいつでも手に取れる自宅の本棚にルールブックがある状態は、TRPGを楽しむためには最良の環境と言っていいでしょう。ただしこれも、「ルールブックを読まなければTRPGを楽しむことができない」という前提がなければ成り立ちません。

ルールブックのもたらす楽しさ

 だからこそ、「ルールブックに目を通すことの意味」を強調する必要があります。このように議論を限定すれば、TRPGプレイヤーなら比較的簡単にその意味を説明できるのではないでしょうか。すなわち、「そのゲームシステムを楽しむため」にこそ、僕たちはルールブックに目を通すのです。

ルールブックを持っていないとき

 かくいう私も、コンベンションで3回、オンラインで2回ルールブックを持たないシステムで遊ばせていただいた経験があります*4。いずれもルールブックを持っていないことはゲームマスターも知っていましたし、システムの紹介を目的としたセッションで、それゆえのフォローを多くしていただきました。

 そしてこれらのセッションにはある共通した会話が含まれていました。すなわち「このゲームって、〜ってできるんですか?」という質問です。一度はそうした確認を怠って、システムが想定していない方法を取ろうとしてゲームマスターに負担をかけたこともあり、思い出すと苦い気持ちになります。

 逆に自分がルールブックを持っていないプレイヤーを迎えた際にも、プレイヤーとの間で同種のやりとりが起こりました。そのときは確認というよりは、「こういうことをする!」という宣言であり、ゲームマスターとしてはそれを「ルール上できない」とするのか「初心者だし楽しませてあげることを優先ということで認めましょう」とするのか大いに迷いました。たしかそのときは、ゲームシステムを紹介するという目的に照らして、ルール上できないと説明する方を採用したように思います。

ゲームに集中したい

 こうした事態はTRPGでは頻繁に起こります。たとえルールブックを読んでいても、「この場面であの判定って使えませんか?」という確認はしばしば行われるものです。程度の差こそありますが、TRPGがコミュニケーションをしながら参加者全員の妥協点を縫って進んでいくゲームである以上、こうした確認は避けて通ることができません*5

 しかしこうした「ゲームシステムの確認」は、本来そのゲームが理想としていたコミュニケーションとは異なります。みなさんも初めてTRPGを遊んだとき、「ええと命中判定はサイコロをいくつ振ってそれをどれと足せばいいんだっけ……」とか言いながら苦労に苦労を重ねて遊んだ経験があるかと思います。そしてそのとき少なからず、「システムをもっと軽く使いこなせたら、物語とか台詞回しに頭を使えたのに」と反省したことでしょう。

 TRPGを楽しむとき、ゲームシステムの確認は少なければ少ない方が物語や台詞回しを楽しむことができます。より重要なコミュニケーションは、「物語をどういう方向に進めようか」とか「このシーンをどういう風に演出しようか」という“プラスアルファの面白さ”を引き出す会話です。そうした要素に多くの時間を割くためには、ゲームシステムについての確認や議論は少ないに越したことはありません。

 したがって、「TRPGを楽しむためには、ルールブックは買って読むに越したことはない」という結論が導かれます。誰か一人がゲームシステムが志向していないことをしてしまったり、ルール上できないことを提案してしまったりすれば、システム確認や説明に時間を取られます。システム紹介を目的としている場合にはそれも重要な時間ですが、シンプルにセッションを楽しもうとする場合、システム確認や説明は間違いなくいくらかの楽しさを損ねてしまいます

それでも持たない人へ

 それでもなお、ルールブックを買わなくてもルールに習熟できるし、同じように楽しむことができると主張する人がいることでしょう。そうした方は、ルールブックを持たないままたくさんの卓を経験していたり、たくさんの動画・リプレイ・解説を見たりして、「自分の個人的な経験と知識に対する自信・自負」を抱いていることでしょう。

帰納的ルール理解の危険性

 ここにはルールに対する二つの把握方法が潜んでいます。複数のプレイ経験からイメージしてルールを理解しようとするとき、これは明らかに帰納法を用いています。一方、ルールブックの一般規則の記述を読んで、それに適合しているか否かを実際のプレイに当てはめようとするとき、これは明らかに演繹法に基づいています*6

 帰納法とは、「今日見たカラスと昨日見たカラスが黒いから、きっと全てのカラスは黒い」と結論づける方法です。人間が世界を経験して理解するとき、ふつうこの方法で物事に法則を見つけようとします。したがって、ルールブックを持たずに遊ぶ人が「自分の個人的な経験と知識に対する自信」から「ルールを理解している」と誤認するのはやむを得ないことです。人間として当然の知性を持っているからこそ、そのような自己認識に至っているのだと推察します。

 しかし帰納法には限界があります。常に次の日に「アルビノの白いカラス」を発見する可能性が残されているからです。どんな経験や発見も、「自分という一個人が経験した一握りの事象」に過ぎません。今日のセッションで通じたことが明日のセッションで通じる保証はなく、いつでも例外に遭遇する危険があり、いつでもあなたが「とんちんかんな行動をとる迷惑プレイヤー」に転じる危険性があるということを意味しています。

自分が遊ぶ場所を保つために

 この危険性を受け入れながら遊ぶなら、もはや僕にそれを止める言葉はありません。それはあなたの考え方であり、あなたの決断です。だからこそ、その責任はあなた自身が取らなければなりません

 というのも、ルール確認がやたら多かったり、とんちんかんな行動ばかり取ろうとするプレイヤーと遊ぶとき、他のプレイヤーは少なからずストレスを感じています。そのプレイヤーたちがあなたと遊ばなくなったとしても、それはやむを得ないことです。ストレスの多い相手と遊ぶより、より楽しく遊べる人たちと遊んだ方がまぎれもなく人生の時間をロスしないからです。

 つまり、ルールブックを読み、ルール確認や演出方針の誤認を減らすことは、参加者全員のストレスを減らすことにつながります。まるで無難な行動を取れと命じているように聞こえるかもしれませんが、あなたがTRPGルールブックを実際に手にとって読んでみれば、その中に豊かな自由が広がっていることを理解するでしょう。それこそが、僕たちTRPGプレイヤーが本当に望んでいる自由で楽しいTRPGの姿に他なりません。

まとめ

「卓の全員と一緒に楽しみたいなら、ルールブックを買って読み込むに越したことはない」

 この言葉の意味がお分かりいただけたかと思います。今回、「TRPGルールブック未所持(不所持)問題」を「ルールブック不読問題」として論じるべきだと主張しました。議論の枠組みを少し変えるだけで、TRPGルールブックが持っている偉大な効用が明るみに出ます。特定のシステムで継続して遊びたかったり、他のプレイヤーへの負担を減らして全員で楽しんでほしいと考えるとき、ルールブックの読み込みは必要不可欠です。自分が楽しく遊べる環境を保つためにも、TRPGルールブックの購入をぜひ検討してください。

*1:この主張は暗黙裡に「TRPG産業を支える人しかTRPGファンを名乗ってはならない」という含意を持ちます。産業を維持するという目的に照らせば、自分が気に入らなかったシステムであっても、産業を維持するために数冊購入しておくという消費行動が求められます。そのような消費行動をしない以上仲間とは認められないというのは実際曲解なのですが、含意している以上間違った解釈とも言えません。この重箱の隅をつついたような曲解で相手を意固地にさせるよりは、より有効な手段があるのではないかと案じる次第です。

*2:その点業界の維持そのものを効用と感じられる人もいる

*3:この記述に明らかですが、僕は道徳的で倫理観のある消費者を前提しないところがあります。むしろ僕が前提とするのは、ずる賢く狡猾で、1円でも無駄にすることなく最大の利益を得ようとする消費者です。だからこそ、「産業の維持のため」などという利他的な言葉は右から左に抜けるだろうと考えているわけです。

*4:ゲヘナアナスタシス、ブレイドオブアルカナ、インセイン、深淵、エムブリオマシンの5つだったと記憶している。深淵は結局購入したけれど、買って思ったのは、このシステムをルルブ持ってない人相手に説明して回したゲームマスターさんの実力の凄まじさだった。エムブリオマシンはシステムとして面白いから是非買いたいのだけれど、どうにも手に入りそうにない。今度ボドゲ化するらしいのでそっちを買うかもしれない。最初の2つはTRPG自体に慣れないプレイヤーさんのフォローアップを意識し過ぎてプレイヤーとしてシステムを楽しめた感があまりなかった。無念。あとインセインは正直あまり合わないと思った。そう言うことを知る意味でも僕はゲームマスターさんの好意に甘えて1度だけは体験させていただいてもいいと思っている。ただしあくまで好意に甘えているのだけれど。

*5:セッション中はルールよりゲームマスターに従うとする、いわゆるゴールデンルールについても誤解を解く必要があります。これはゲームマスターが好き勝手していいわけではなく、卓全体の最大幸福を実現することに寄与するならゲームマスターに従おうというルールに過ぎません。このルールの存在から言っても、確認作業が増えるとストレスが増えることは公式側も認知していると思われます。

*6:論理学上でも、演繹法では結論の真理性が保証されますが、帰納法では確度を高めることしかできません。つまりいつまでたっても「間違いなく正しい裁定」に到達することはできないという点を自認しなければなりません。