TRPGシナリオのゲーム性と物語性、そして難易度について
ずいぶん前になりますが、シナリオを二重化するという試みを行って、現在プレイ中の大型シナリオ、「忘却の結末」を執筆しました。
結論から言って、プレイヤーの諦めが悪いと、(ゲーム外で)グダッてしまいます。
単純に、制限時間というか、危機感を強くしてあげれば、ゲーム内での強制力が増すので、ゲーム内の展開のグダリは簡単に解決することができます。今回のシナリオでも、もちろん、その方法を採用しました。
しかし、問題はゲーム外での時間のゆとりにあるのです。
そもそもどこかのラインで諦めることを想定した二重化シナリオでは、自分なりの解決策と納得のさせ方を見つけ出して、溜飲を下げなければなりません。
それゆえ、ハッピーエンド以外を受け入れたくないプレイヤーが、ゲーム内時間を進めることを拒絶してしまうのです。
おそらく、この問題は、難易度の高いシナリオにはつきものと言ってもいいのかもしれません。特に、いつでもプレイできるような環境にある学生にとっては、ことを急きすぎる必要はありませんし、そうこうしているうちに一ヶ月が経つ、なんてこともあるのでしょう。
これは、ちょっと難易度の高い、セーブ&ロード不能型ゲームを前にしたときの反応の違いに過ぎません。世の中には、玉砕覚悟で全力で攻略を試みるプレイヤーと、失敗を恐れるあまりゲームを遠ざけてしまって、最終的に匙を投げるプレイヤーが存在するというだけのことです。
しかし、TRPGにおいても、大切なのは、「最後までプレイしてもらえる」ということにあるのではないかと思うのです。
1.最後までプレイしてもらうために
「ゲームは最後までプレイしてもらってこそ意味がある。」
世の中に存在しているコンピューターゲームでも、このことが多いに課題にされています。
まず、据え置きハード初期のゲームを思い出してみましょう。
RPGでは、何の説明もなしに草原の只中に主人公が立っている画面から始まるRPGゲームもありました。
アクションゲームでも、アーケード版の感覚で、一回のプレイでは明らかに残機が足りず、ハードにコインの投入口がないために、到底クリアできないゲームがざらにありました(2ダメージで死亡するうえ、二周させたりする「悪魔城ドラキュラ」なんてその典型でしょう)。
こうしたゲームでは、エンディングを見ること自体が困難で、ゲームの後半で何が起こるのか、極めて少数のプレイヤーだけが知っているような状態だったのです。
しかし、今日のコンピューターゲームでは、このような事態はまず発生しません。
メニューを開けば、次の行動のヒントが書かれているRPGに、困った時には自動操作で難所をくぐり抜けてくれるアクションゲーム、死んでも死んでも同じ場所からリスタートできるFPSなど、最後までプレイさせるための配慮がおおいに盛り込んであります。
しかし、こうした配慮のために、ゲーム自体の難易度がガクッと落ちてしまいました。
それゆえ、RPGやアクション、シューティングゲームの主要な「面白さ」は、ゲーム自体の難易度の克服や技巧の習熟という点から、「物語性」へと移行することになったのです。
とはいえ、実際のところ、「物語性」への重点の移動と、「最後までプレイできるゲーム」への移行は、同時発生的な現象です。
ゲームプレイを継続させる誘因には、いくつかのものがありますが、そのうちの一つが、物語を最後まで読みたい、知りたい、というものだからです。目の前に積まれた課題(ゲーム性)を効率的に克服することそれ自体が目的だったゲームが、物語を伝えるための媒体に変化したことで、多くの消費者を呼び込むことに成功したのです。*1
直接的に言えば、物語のないゼルダや、物語のないCoDならば、コアなゲーマーだけが購入する作品になってしまいかねない、ということです。
2.TRPGにおける物語性とキャラクターロスト
このコンピューターゲームの発達史を考えると、TRPGの普及にとって、「物語性」の導入は、やはり不可欠であるように思われます。
そもそも、TRPGには厳密な獲得ポイント競争も存在し得ませんし、大部分が乱数(サイコロ)に依存しているため、プレイングスキルで補うにも限界があります。その意味では、ゲームの本質からして、「ゲーム性」だけによってプレイヤーを熱中させることは難しいゲームなのです。
その結果、「ゲームを最後までプレイしてもらう」ために重要になるのは、やはり、「物語性」なのです。
しかし、TRPGでは、「物語性」が、かえってプレイの足かせになる場合が有ります。その背景にあるのが、「キャラクターロスト」というシステムです。
想像してみてください。
もしもCRPGが、たった一度のゲーム・オーバーで、二度と同じキャラクターを利用できない仕様だったら、どれだけの阿鼻叫喚が生まれることでしょうか?
そうしたシステムを搭載したゲームは2chでこっぴどく批判され、クソゲー・オブ・ザ・イヤーの称号を獲得する可能性だってあります。
…いや、あるんですけどね。1回死ぬだけで、主人公が交代するゲーム。
これです。
これはこれで、いいゲームだと思うんですよ。
…ガッチマンさんの実況プレイで見ただけですけど。
このゲームはアクションゲームで、前の主人公がゾンビになって歩いているのに遭遇して、撃退し、荷物を奪うことで、荷物を持ち越すことができます。レベルのような成長要素がなく、所持品だけが難易度を左右するからこそ可能なゲーム性と言えるでしょう。
しかし、同じことを、レベルが存在するRPGで行えば、大変なことになります。
主人公が交代すれば、それまでに行ってきたレベリングを再度行う必要がありますし、その途中でまた死んでしまえば、またゼロからレベリングが必要になります。
わぁ、過酷。
しかし、まさにこれと同じゲームが、TRPGなのです。
この事態に難を覚えたのか、高レベルPCの作成ルールなどが定められて、“途中合流”も可能になっていることが多いのも事実です。とはいえ、思い入れのあるキャラクターを二度と使えないということには、少なからず抵抗を抱くのが、人間の性というものです。
そして、この性質を強めるのが、「物語性」です。物語の中にのめり込めばのめり込むほど、キャラクターに感情移入し、キャラロストに怯えてしまう…。そんな経験は、TRPGプレイヤーなら誰しもが持っているのではないでしょうか?
しかし、忘れてはならないのは、この、キャラクターロストというシビアなルールこそ、TRPGというゲームが持っている最大の特徴の一つであるということです。
3.死なないこと、打ち勝つこと、「物語の最後」
ここまでに整理したのは、次の二点です。
まず、TRPGを含め、多くのゲームは、最後までプレイしてもらうことに、一つの価値を置いている、ということ。
次に、物語性が、キャラクターロストを恐れる気持ちを惹起し、結果として、物語を進める意欲を減退させるということ。
そして、今回の課題は、
「キャラクターロストするかもしれない難易度のシナリオを、『最後までプレイしたい』と思わせる要素とは、なんなのか?」
ということです。
第一の解決策として、
とにかくこの難題を解決してやろうとする、コアゲーマー特有の執着だけを頼りにする、という案がありました。
しかし、これは、ダイスに頼りきったゲームは、コアゲーマーの効率的なプレイを阻害し、技巧による課題の克服を難しくしているため、現実的ではないとして否定されました。
第二の解決策として、
物語性を利用するという、多くのゲームが導入した手法を真似るという方法がありました。
しかし、物語性は場合によって、キャラクターロストを過度に警戒する態度を導き、プレイの中断と考察時間の長期化を招くことになるとして、否定されました。
したがって、第三の解決策を見つけ出さなければなりません。
大切なキャラクターを失う可能性を伴いながらも、難しいシナリオに挑戦したくなる、そんな何かを見つけ出す必要があるのです。
…それがなんなのか。
わかっているなら、こんなに悩まされてはいないんですよね(苦笑)
*1:インベーダーゲームやテトリスなどは、単に得点を競うゲームでしたが、次第に物語を含んだゲームが主流になっていき、今では物語性を含まないゲームを見出すことは難しいほどです。こうした移行の結果、難易度が高すぎて物語を最後まで見ることのできないゲームが酷評されるという事態を招いてすらいます。