夜叉神峠の謂れに見る、人々と神様の関係
山梨県シナリオを作ろうと思って、googleマップをぶらついていたら、「夜叉神峠」という気になる地名を見つけました。
なんでまた夜叉なんだろうか、と思うのは人間の常。早速謂れを調べてみることにしました。
すると、“クトゥルフ神話に頭を汚染された人間にとっては”思わぬストーリー、つまり、言われてみればありがちなストーリーがあったので、備忘録としてここに整理しておくことにしました。
そもそも、夜叉神峠は、甲府市の西、南アルプス市の一角にある、有名な登山スポットです。
夜叉神峠から見る日本アルプスの景色は非常に綺麗で、その絶景を目当てに、多くの人が集まっているそうです。
うーん、わたしも是非行ってみたい(シナリオの取材のために)。
1.「夜叉」って何?
ところで、皆さんは「夜叉」という名前について、どの程度の知識をお持ちでしょうか?
ちなみに、わたしはほとんど知りませんでした。少年漫画の『犬夜叉』のことを思い出した、というくらいの、仏教用語素人です(『犬夜叉』は台湾でも中国語訳版がテレビ放送されていたなぁ、など思い出しつつ)。
そこで、まずは「夜叉」について勉強することにしました。
夜叉というのは、インド神話の鬼神に由来する神様です。この鬼神には男女があり、男をヤクシャ、女をヤクシーとかヤクシニーと呼んだそうです。もとは森林に住む精霊の一種ですが、「水を崇拝するYasy-」と音が似ているために、水の神様として扱われることもあります。
インド神話に由来するので、当然、多くの宗教に顔を出しています。その例として、仏教はもちろん、バラモン教やマニ教、ジャイナ教などを挙げることができます。
2.夜叉神峠の由来
さて、夜叉のことを書き始めるとキリがないので、話を夜叉神峠に戻しましょう。
夜叉が荒っぽい鬼神で、さらに水を司る神として認知されていたのは、ここ日本でも同じだったようです。
もともとこの東側の麓に流れる川、「御勅使川(ミダイガワ)」は、荒れ川として有名でした。それもそのはず、旧名を「水出川」といい、その治水には難儀していたようです。それゆえ、里の人々は、この川には「夜叉神」がいる、と考えていたそうです。
さて、その昔(なんと天長2年、826年のこと!)、この地域で豪雨が続き、ついに水出川の大洪水が発生します。さらに土砂が崩れて川がせき止められると、一層豪雨は激しくなり、ついにこれが決壊し、甲斐の国は湖に沈みかねないような大惨事に見舞われます。
この豪雨災害を、土地の人々は口々に、「夜叉神祟り」と呼びました。この事態を重く見た当時の国造(くにのみやつこ)が朝廷に惨状を報告すると、ときの帝、淳和天皇は勅使を派遣して、水難防除の祈祷を行わせました。この故事から、以後、この川は「御勅使川(ミダイガワ)」と呼ばれるようになります。
しかし、いくら名を変えても、「夜叉神」をどうにかしなければ、この荒れ川を治めることはできません。そこで、里の人々は、「御勅使川」を見下ろす高台に、「夜叉神」を奉る石祠をしつらえます。これが、「夜叉神峠」です。
3.神様の気まぐれさを味方につける
この物語、言われてみればありがちな神様との関係なのですが、クトゥルフ神話病患者には全く新鮮な印象を与えます。
というのも、人々が神様とうまくやろうとしているからです。
クトゥルフ神話の邪神たちは、基本的には理解不能の超常的な存在で、それを信仰するのは、基本的には狂人だけがなせる技です。それゆえ、シナリオ内では邪神を信仰している人間は、総じて「ヤバイ奴」で、その目論見は断固阻止しなければなりません。
一方、この物語の決着部分では、非常に実用的な対応が取られています。つまり、「たとえ荒れ狂う神様であっても、人々が信仰していれば、そう荒れないのではないか」という考えから、荒れ狂う神様に祠を用意し、人々が手を合わせるようになるわけです。
こんな解決、クトゥルフ神話TRPGであり得ますか?
…あり得ないでしょう!
4.「祠を作る」とはどういうことか?
でも、この行動、実はものすごく理にかなっているというか、人間的な対応ではないかと考えたりもします。
一体全体、どうして人間は「祠」などというものを作ることにしたのでしょうか?
つまり、どうして「毎年収穫された作物の一部をばらまく」とか「山ごと焼き払う」とか、「毎日やまびこを響かせる」とかいう方法ではなく、「祠を作る」という行動が採用されたのでしょうか?
以下は私の創作であり、事実とは異なります。
そもそも、神様というものは、極めて放埓で、人間の手に負えない存在です。それはなぜなのでしょうか?
様々な答えがあり得るでしょう。しかし、祠を作った人々は、きっとこう答えたんです。
「人間と同じように、家に住んでいないからだ。」
言われてみれば、人間だって、家を失うと、途端に厄介な存在になります。当時だったら盗賊になったでしょうし、山姥とか雪女と恐れられたのも、みな家を持たない棄民だったのでしょう。そう、むしろ人間が「手に負える存在」であるのは、「家があるから」とも言えるのです。
そこで知恵のある人々が、神様に家を与えてみることにしたのです。それは神様を人間と同じ水準の存在に移行させる手段であり、災害を人間の手で統治する唯一の手段だったわけです。
そうしてみると、人間がやってきたことの本質は、現代とあまり変わりありません。
つまり、「川岸をアスファルトで固めて、川という自然物を人工物に加工して安心するというプロセス」は、「神様を石祠に住ませて、神という自然物を家という人工物に加工して安心するというプロセス」と、まったく同じ種類の「安心の構築学」を試みているのです。
うーん、こういう観点からクトゥルフ神話を考え直してみると、ちょっと面白いエンディングを持ったシナリオが生まれそうな気がします。そのうち書けるといいなぁ。