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『貞子』の「越境」に見る恐怖演出の妥当性について

神話研究を開始して、改めて〔構造主義〕というものに感じ入りました。ちょっと専門的になるのですが、今日は〔構造主義〕に基づいた演出の可能性について整理しようと思います。

 

そもそも〔構造主義〕とは、1950年にクロード・レヴィ=ストロースという人類学者が『親族の基本構造』という著作を著したときに、その構想を提示したものです。のちに『構造人類学』という著作でその思想は整理されています。

 

といっても、その思想はいくらか難解で、素人の手には終えない産物です。ただのTRPG好きが突然その著作を手に取っても、何を言いたいのかさっぱりわからないかもしれません。

 

しかし〔構造主義〕は、あらゆる神話や物語に共通して見られる『ある性質』を見事に説明してくれます。その点では「一般人の思考フレームの説明モデル」と呼ぶことができます。それゆえ、〔構造主義〕的分析の実例は、極めて身近なところから発見していくことができるのです。

 

1.二つの世界を対比する

〔構造主義〕が有効な説明として利用できるのは、〈私たちの世界〉と《あちらの世界》あるいは〈私たち〉と《超越的存在》が登場するような物語のときです。もっと平らに言えば、〈人間〉と《幽霊》《神様》《地底人》《海底人》などが対比させられた物語のとき、〔構造主義〕が輝きます。

 

たとえば、以下の台湾原住民口伝神話を見てみてください。

山中で下へ続く大穴を見つけた夫婦が、その穴がどこまで続いているのか興味を持ち、穴を下っていきます。穴があんまり長いので、途中で男が糞をするのですが、それが落ちていくと、穴の下の方から、「こんなことをするのは誰だ!」と声がします。「これは誰か居るぞ」とわかって下まで降りていくと、地底には街がありました。

そこの人々は食卓を囲んで、穀物を炊き、その湯気を吸っています。「湯気ばかり吸って訳のわからん奴らだ」と思っていると、果たして彼らには肛門がなく、どうやら物を食べる必要がないようなのです。一方で長い時間穴を下ってきた夫婦は腹が減って仕方がありません。目の前にはうまそうな匂いのする炊かれた穀物が積まれているのに、これを食べない手はありません。

いよいよ我慢できなくなって穀物をパクリと食べると、地底人たちは騒ぎ始めます。「こいつは物を食ったぞ!さては豚なんじゃないか!?」と。結局夫婦は檻に入れられてしまいます。

 

 

〔構造主義〕的分析の要は、対比を明らかにすることです。

 

〈夫婦〉と《地底人》
〈脱糞〉と《無肛門》
〈食事〉と《湯気吸い》
〈地上〉と《地底》

 

という具合に、対比が積み上げられていることがすぐにわかります。

この対比の中では、〈人間〉は《地底人》の側よりも〈豚〉の側に属する存在と見なされます。このことに端的に現れるように、対比を積み上げることで、認識上の境界を変えてしまうという演出技術は、しばしば利用されます。

 

 

2.恐怖は〔構造主義〕の隷也

\(・ω・\)SAN値!(/・ω・)/ピンチ! ってね。

その典型が、ホラー演出です。恐怖という感情は人間の感情の中でも極めて本質的なものです。それゆえ、その演出には〔構造主義〕によって解き明かせるような、神話と同じ手段が用いられることがほとんどです。

 

ジャパニーズホラーの模範生、『リング』を例にとってみましょう。

見ると死んでしまう「呪いのビデオ」なるものが発見され、主人公たちの調査が始まります。そのビデオを再生すると、恐怖を喚起する様々なイメージの後、やや離れたところにポツンと置かれた井戸が映し出され、井戸の中から誰かがその縁に手をかけるところで映像が途切れます。これが有名な『貞子』と呼ばれる女性です。

探索者たちは「呪いのビデオ」による死亡事件に決着をつけるため、映し出された井戸の場所を特定し、そこから女性の遺体を発見します。その遺体を丁重に葬ってあげることで、事件は終息するものと思われました。

しかし、それでも死者がでます。電源が落ちているはずのテレビに、突然例の井戸が映し出されたかと思うと、今度は映像が途切れることはなく、井戸から髪の長い、白装束の女性が這い上がってくるのです。ついに姿を現した『それ』は画面の中でゆっくりとカメラの方に近寄ってきます。恐怖に身を凍らせていると、いよいよテレビ画面を突き破って、『貞子』が部屋に這いずり出てきます。

主人公たちに死者が出たのですが、これによって死ぬ人と死なない人の違いが明らかになり、対抗策が発見されます。それは、「映像を別の人に見せる」という条件です。これをやった人は、どういうわけか死なないようだということが明らかになり、物語は幕を下ろします。

 ここでは、〈生〉と《死》という対立が、〈テレビの外〉と《テレビの中》という空間に分割され、〈私たちの空間〉と《貞子の空間》が特徴付けられています。それは〈人間〉と《霊的なもの》との対比関係でもあります。

 

かの有名な貞子が這い出てくるシーンですが、これがなぜ恐怖を巻き起こしたのか、もう説明できますね?

あのシーンは、《死》と《霊的なもの》の代表である『貞子』という存在が、〔あるべき秩序〕を破壊して、画面という境界を越え、〈私たちの空間〉に姿を現すという演出なのです。一種の〔安定構造〕が破壊されたとき、私たちは不安と恐怖を覚えるのです。

 

 

3.それで、何が言いたいのか

今日の結論は簡単なことです。

人を怖がらせたければ、〔二つの世界とその境界〕を意識せよ、ということです。

人を怖がらせたり、畏怖させたりするのに、霊界とか天界は必要ありません。むしろ生活の中に潜んでいる《異界性》を発見した方が、効果的に恐怖を呼び起こせます。

 

ディスプレイ、玄関、睡眠、穴(マンホール)、日没、雑木林、山、水面、門、視界の端、壁、電車、バス、エレベーター、飛行機、トイレの扉、階段、渡り廊下、排水溝、路地裏、トランク、窓、皮膚、トンネル、成長期、スイッチ、交差点…

 

私たちの日常には様々な「境界」が存在しています。その「境界」は、時として〈私たちの世界〉と《あちらの世界》の〔境界〕として特徴付けられ、ホラー演出に利用されてきました。

「2階の窓の向こうに人が立っている」とか「階段が一段増えている」とか、「排水溝から手が伸びてくる」とか「電車で別の世界に到着してしまう」とか「玄関の外に何かがいる」とか、そういう恐怖演出が効果的なのは、人間の〔境界〕の認識をうまく利用しているからなのです。

 

これからホラーシナリオを書きたいという方、また、神話などの《この世ならざるもの》を扱おうと考えている方は、こうした〔境界〕と組み合わせた演出を意識してみてはどうでしょうか?