TRPGをやりたい!

電源・非電源ゲーム全般の紹介・考察ブログ

【連載】ラインズ 線の文化史 を読む(5)

f:id:xuesheng:20181217160719j:plain

 こんにちは。後半の山場となる第5章です。この章では再び文字と記述、そして印刷の問題に帰ってきます。

 

 この章の主題は、「ただの線と記述は何が違うと言われてきたのか、そしてその違いは正しいのか」ということです。紙の上にしゅしゅっと適当に描いた曲がりくねった線と、判読できる文字による記述は、その性質から異なるものと受け取られてきました。では具体的に何が違うのでしょうか。

 

 

文字を描くvs文字を書く?

 子供の頃を思い出しましょう。本書の中では「くまのプーさん」の場面が引かれています。はじめに文字を習ったとき、私たちは文字を“書いた”というより“描いた”のではないでしょうか。示された例と同じ形に見えるものを、鉛筆を使って何度も描いて文字を覚えたという記憶は誰にだってあるはずです。

 言語学者のロイ・ハリスは、表記法と記述物は違うものだと強調しました。一つ一つの文字の形を知り、描き方を覚え、読み方を知る過程は表記法の練習に他なりません。一方、その表記法を使って何か意味の成立するものを作り出そうとするとき、記述物の練習が実現しています。

文字を描いてみよう

 今からでも表記法と記述物の違いを認識することができます。たとえば全く意味の成立しない文字の羅列を用意して、それと全く同じものを手書きで作り出そうとしてみましょう。すると急に記述物の秩序が失われて、私たちは文字を“描く”世界に引き戻されてしまうのです。

 つまり、記述とは本来描くことであり、描くことと書くことの間に本質的な違いはなかったと考えることができます。その傍証として、本書ではエジプト象形文字におけるAの例や、P・P・ニコルによる「点から点へ、想像されたHのなかに」という作品、そしてアボリジニにおける物語中の線描慣習に言及しています。

 

線描は〈芸術〉、記述は〈技術〉?

 以上の議論を理解しておけば、続く節の理解も容易です。著者の主張の要は、「そもそも記述と線描に違いはなかった」という点にあります。したがって、線描は〈芸術〉で記述は〈技術〉だという考え方それ自体が、近代化に伴って登場した偏った観念だと論じます。

書道は記述の芸術

 たしかに文字を書くことそれ自体を〈芸術〉と理解している人は少ないかもしれません。しかし東アジアには明らかに書道の文化があり、幸いにして著者の主張はかなり理解しやすいと言えます。水墨画を描くのと、文字を書くことは等しく〈芸術〉として受け入れられています。

 しかし著者の主張はもう一歩前に進みます。ここで筆者は、文字を書くという話題を通じて、〈芸術〉と〈技術〉という対比的な関係を霧消させることを試みます。つまり、「文字を書くのは常に〈芸術〉だったのだ」とか、「いや文字を書くのは〈技術〉の一つだ」といった論争それ自体が現代的なものの見方に囚われた議論だと主張するわけです。

 そんなことを言って結論はどうなるんだと首をかしげるかもしれませんが、結論は次のようなものになります。すなわち「ラインを描くことから始まり、ラインを線状化してきた歴史があった」という結論です。それは結論なのかと問われると僕も返答に困りますが、実際そのような筋を辿ります。追ってみましょう。

なぜ〈技術〉と考えられてしまうのか

 そもそも〈芸術〉も〈技術〉も人間の能力によって生み出される実践であり、その点では明瞭な違いはありません。しかし機械が人間の能力を代替するものと考えられ始めると、創造的衝動から切り離された能力発露は明確に区別され、機械によって再現できるものとして抽出されることになりました。

 こうして機械的に抽出されるものは〈技術〉と呼ばれるようになり、一方創造的衝動によって作り手の才能を表現する場合にはそれを〈芸術〉と呼ぶようになったと著者インゴルドは論じます。そうした経緯を理解しておけば、この分化が発生する以前、産業革命以前に記述が〈技術〉とみなされなかったことを受け入れることができます。同時に、書かれた意味内容と同等かそれ以上に、書面が芸術性を持っているかが重要視された古い書物の存在を受け入れることができます。

 

 これらの議論は芸術家のパウル・クレーの例と、ニコレット・グレイによる理論化、ジョン・ラスキンの引用と繋げて結ばれています。この部分も気づきを提供してくれるのですが、ここではいたずらに議論を複雑にしないために割愛させていただきます。

 

カリグラファー

 ここまで議論を展開して、ニコレット・グレイによるカリグラフィーという言葉が意味する『書』の話に入ります。この要約ではみなさんの理解を促すために先行して示した書道の話です。

 書道では、文字の中に連続的な動きが織り込まれています。墨は絶え間無く紙に吸われ、文字を見ればそれを書いた人の動きを感じることができます。文字そのものの美しさを語る芸術であると同時に、その文字を通じて透かし絵的に垣間見える動きの芸術でもあるのです。

中国において文字は動きである

 さてみなさんはどうやって文字を習いましたか? 二つの教育法が思い起こされます。一つ目は、薄いグレーで印刷された文字を何度もなぞるという学習法です。もう一つは、手を目の前に出して、先生の動きに合わせて空中に向けて動かし、空中に文字を書くという学習法です。

 後者の学習法、アジア人の僕たちにとっては「まぁそういうやり方もあるかも」という程度の違和感のない光景ですが、実は西洋人にとっては奇妙奇天烈な学習法だそうです。この学習法は文字を図像としてではなく「動き」として習得させるもので、「書き順」の概念とも関わっていると思われます。本書曰く、空中に文字を書いて漢字を伝えるという動作それ自体が、漢字文化に固有の動きだそうです。

 そして我々の誰もが経験したことのある漢字のゲシュタルト崩壊も、漢字文化に固有の現象だそうです。文字を見続けているとそれがなんだかわからなくなってしまいます。これも漢字から動きが切り離されてしまうからだと論じています。書き順に従って手を運動させることで元の感覚を取り戻すことができるというのも、漢字がむしろ運動として記憶されていることを後押しすると論じられています。

 つまり、記述はいまでも「ラインを描くこと」であり続けているのです。〈技術〉とか〈芸術〉とかいう分類で記述について議論するのはやめにしましょうと繰り返し提案されます。

 

刻印と記述

 ところで本書では第1章から継続して、印刷が文字から声を奪い、記述から動きを奪ってしまったと論じてきました。ここでその議論は大きく転換されます。以上の議論に明らかですが、印刷という技術が本当に決定的な役割を果たしたわけでもないからです。

刻印は動きを取り払う

 実際、歴史を通じて人類は印刷に似た記述の形式と付き合ってきました。たとえば石に刻まれた文字と印鑑、そして印刷がその例に当たります。こうしたタイプの記述は筆記とは別の用法として「刻印」という名前で呼ぶことにしましょう。

 たしかに文字を石に刻むために繰り返される掘削の作業(それが反復的切削によるにせよ、ノミを打ち付けるにせよ)は、文字の持っていた線的な動きを損なっています。つまり、なにも印刷だけが記述から動きを取り払ったわけではなかったのです。

刻印も記述も道具を使った肉体労働

 しかし本当に刻印は特別な活動なのでしょうか? 刻印には二つの側面があります。一つは文字から動きを取り払っているという側面です。もう一つは道具を使って文字を描いているという点です。少なくとも前者の点で特徴的な活動という点は認められますが、後者の点でもそれを認めるわけにはいきません。

 修道士たちが行なっていた筆写の作業も、今日の私たちの想像力では紙を撫でるような印象を抱きますが、実際には紙を削るように肉体を酷使して書くものだったと伝わっています。つまり、紙に書かれる滑らかで動きのある文字と刻印との間には、道具を使用しているという点でそう大きな差はありません。

 

線状化

 そうしてたどり着くのは、人類が歴史上のあらゆる場面で行ってきた「文字から動きを取り払う」より一般的に言えば「ラインから動きを取り払う」という変化です。この変化こそが記述についての誤解をもたらした元凶ではないでしょうか。

 ここでルロワ=グーランによる線状化の議論が参照されます。線状化とは、もともと動きのあるラインだったものを、直線に変貌させる力学のことを指します。これまでの議論で登場したもので言えば、点と点を結んだ連結器としての直線のことです。

 

 続く最終章である第6章では、こうして再びたどり着いた「動きのあったラインを直線へと加工し、連結器へと変貌させる作用」である線状化という現象に迫ることになります。歌・声・語りの議論に始まり、概念整理を経て場所や人間を「ライン」の概念を利用して表現することを試みたあと、再び〈書かれたもの〉を「ライン」の概念に基づいて整理しました。最後に議論は人間の本質へと進みます。ラインという概念を使ってあらゆる議論を統合しようとする意欲的な一冊も次章でいよいよ完結です。

 

 

蛇足

 というところでいつもなら蛇足をつけるのですが、今回は長い章だったのでちょっと蛇足はお休みさせていただきます。後半はカットした部分も多く、読者の皆さんに伝わりやすいように再構成したりして、一部しかお伝えできていないのが残念です。以上の議論で興味を持った方は、ぜひご自身で本書を手に取ってみてください。

 

ラインズ 線の文化史

ラインズ 線の文化史