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【連載】ラインズ 線の文化史 を読む(3)

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こんにちは。今日も今日とて、「ラインズ 線の文化史」の第3章を読み進めましょう。

 

ここまでの議論で様々な概念が用意されました。ラインと表面、〈糸〉と〈軌跡〉がその代表的なものでしょう。この4つの用語が理解できているか、今日は初めに確認しておきます。

 

 

ラインズの4つの概念

ライン:線状のもの

 ライン(線)とは、この世界に存在するあらゆる線状の概念物の総称です。その中にはたくさんの種類がありますが、この本ではそのうち主に二つの種類のラインを扱います。

表面:描かれる下地

 表面とは、ラインが描かれる観念上の平面を意味する概念です。もちろん多くの場合は物理的な構成をしていて、布や紙、砂の地面などがその典型例です。いずれもその上に何かを付け加えたり、表面を削ったり切り裂いたりすることで、ラインを描くことができます。

〈糸〉

 表面に描かれないタイプのラインです。空間中に物理的な線状構造として存在する場合が多く、たとえば配線コードは〈糸〉の典型例です。空間中ではなく地中を想像すれば、植物の根の構造や、地下鉄網などを〈糸〉の例として挙げることができます。

〈軌跡〉

 表面に描かれるタイプのラインです。表面に何かを足したり、表面から何かを引いたりすることで作り出されます。紙に書き落とされた線や、砂を削って描いた線が〈軌跡〉にあたります。〈軌跡〉は人間の運動の痕跡であり、動きと切ってもきれない関係にあります。

 

 以上の四つの概念を念頭に置いて話を進めましょう。

 

 

身振りの軌跡から連結器へ

 一つ適当に鉛筆でぐにゃぐにゃっとした〈軌跡〉を紙に描いてみましょう。そこにはなんらかの流れの痕跡が残されているはずです。

 次にその線上に20個くらいの点をペンで打って、消しゴムで鉛筆の〈軌跡〉を消してみてください。そこに残るのは流れを失った20個の点です。それを互いに直線で結べば、ある程度はじめの〈軌跡〉に似た姿が生まれるかもしれませんが、それはもはや、もとの〈軌跡〉と同じものだとはとても言えない、角ばった姿をしていることでしょう。

 

 〈軌跡〉から運動を取り除くとはこういうことで、瞬間と瞬間の間に存在した運動を点が飲み込んでしまったのです。そしてこうした運動と連続性に対する切断こそ、我々人類が近代化を通じて経験したことだったのだと論じます。

 

徒歩旅行と輸送

 「観光スポット」という言葉があります。「観光スポット」を順に巡るバスツアーこそ、まさに〈軌跡〉を切断して作り出された輸送的な旅の典型例です。

徒歩旅行

 本来、人間の動きはラインのような形状を持っているはずでした。〈軌跡〉は絶えず表面との関係を図りながら、そのいかなる瞬間にも還元できない運動として存在しています。徒歩で見知らぬ街を歩くとき、目に見える光景の一つ一つが自分に訴えかけてきます。喫茶店なり雑貨屋なり、おしゃれな石畳やマンホールの蓋のデザイン、なんとなく整った街並み、あるいは逆にどこか生活を感じさせる汚い路地……自分自身の欲求や意志・興味に応じて、街の中にたくさんのものを見いだすことでしょう。

輸送

 しかし観光スポットをめぐる旅行ではこうした出会いは失われます。可能な限り効率よく観光客たちを次の観光スポット(点)輸送し、そこで記念写真を撮ったりアクティビティに興じると、次の点へ向けた輸送が再開されます。

 徒歩旅行者の意識に構成されたものが、連続的な“街”だとすれば、観光旅行を終えた観光客の意識に構成されるのは、点と点を結んだ、角ばった“街もどき”にすぎません。しかし今日、駅や空港といった輸送網の発達は、世界を点と点を結んだ連結器に変えようとしています。

 といって、この変化は必ずしも近代化のせいというわけではありません。むしろ人間がその道(ライン)をどういうものとして通っているのかという点が重要です。狩人が獲物の痕跡を追うとき、その道筋では常に環境を知覚し、方向を修正しながら進みます。一方同じ狩人であっても、獲物を仕留め終えてその肉を持ち帰ったり売りに行くとき、最も通りやすいルートを(可能なら)直線的に通過することになるでしょう。

 

ネットワークとメッシュワーク

 こうした点と点を結んだ概念として、ネットワークというものが知られています。それは点と点を結ぶことで生まれた網目状の構造で、たとえば「人間関係のネットワーク」とか「送電ネットワーク」とか言われて、日常語の一つとなっています(SNS、ソーシャル・ネットワーキング・サービスなど)。

 しかしこれまでの議論を理解していれば、ネットワークに対するこの理解は、いくらかいびつな理解ではないかという指摘も納得できるでしょう。というのも、点と点を結ぶという発想は、本来〈軌跡〉上にあった点と点の間にあった運動を捨象し、直線へと変貌させたものなのですから。

 そこで著者は「メッシュワーク」という言葉を利用します。もとは哲学者アンリ・ルフェーブルが用いた概念だそうです。つまり、線と線が「絡む」ことで、我々が「点」と認識するものが編み出されるというようなイメージをしています。

地図を描く

 自分の家への略地図を描くとき、私たちは自分たちが日々繰り返している運動を手で再現することで表現しています。人によってはそこに目印や体験の記憶が重なって、語りながら描くことがあるかもしれません。

 しかし刊行される地図ではそうもいきません。刊行地図に誰かの辿った運動の痕跡が残されていれば、いたずら書きのようなものと思われてしまうでしょう。それは辿られる予定のないラインであり、刊行地図という運動を除外した地図が目論む輸送的な移動とは相いれないものなのです。

 実際、川の名称などにそれが現れています。地図上では○○川と一意的に示される川であっても、その川沿いに生活する人々は中流域・下流域、支流、湾曲、早瀬……様々なところで異なる名称でその川を呼んでいることでしょう。しかし地図にはそうした名称は記されません。地図は生活を記録するためのものではないからです。

 

ストーリーラインと筋書き

 さて、このブログでなら絶対扱うべき話題にたどり着きました。ここまで議論を整理することで、物語のラインについて議論することができます。

 ここで注意したいのは、この本で言及されている「ストーリーライン」は、現在の私たちが考えるものとは全く違うということです。あえて現代の物語の姿を抽象的に理解することからはじめて、本来の姿に戻っていきましょう。

シーンの連結器としての物語

 現代の私たちにとって、物語とは「シーン」の連結によって構造化された変化の過程を記したものです。ミステリー小説ならば、事件が発生し、証拠を発見して、推論を展開しつつ、新しい証拠が見つかって、そして解決へと進みます。そこに変化がなければ物語性がないと考えられがちですし、メリハリと呼ばれるものが暗黙裏に期待されています。

 しかしこのメリハリはプロットとしてあらかじめ素描されています。プロットに記された目的地と目的地を結んだ直線的な移動こそが現代的な物語に求められるものです。物語を通じて何かが変化したり、あるいは語るにふさわしいだけの要素だけが語られる・書かれるとき、読者はそれらの要素から物語を再構成する連結器的なものとして物語を読むことができるのです。

軌跡としての物語

 しかし過去には、これとは異なる姿で物語が存在していました。それをこの著作ではストーリーラインと呼んでいます。諸民族において語られるストーリーラインは、誰かの経験したものごとをひたすらに語るものです。その語りには終わりはなく、絶え間なく続いています。狩人の語りが獲物を捕らえることで終わることはなく、単語の歩幅で想像力の世界を歩くようにして続いていきます。

 

 

場所の概念も変化した

 様々な例を見てきましたが、最も重要で学術的に優れた指摘は次の点ではないかと思われます。すなわち、「場所」の概念を「多くの線がもつれているところ」として理解し直そうとしたことです。

ボードゲームにおける場所

 ボードゲームも扱うブログですから、ボードゲームの例を拾いましょう。すごろくを筆頭に、多くのゲームでは点と点を結んだ線が利用されます。これは場所を○で囲った領域として定義し、その間を輸送的に結んだ表記方法です。

 実際、私たちは現在この方法で世界を理解しているところがあります。渋谷エリアと新宿エリアがあって、山手線で繋がっているとか、その線の先に池袋があって、新宿から右に伸ばしていけば上野・秋葉原があって……もっと全国規模で言えば、東京という○で囲まれた場所から新幹線が直線的に静岡や名古屋、大阪といった○で囲まれたエリアへと連結されています。

場所が生まれる

 しかし実際には、場所を囲う○なんて存在しません。どこからどこまでが東京なのか、どこからどこまでが横浜なのか、どこからどこまでが渋谷でどこからが原宿なのか、行政上の区分は存在するとしても、生活上の区分は存在しません。NHKホールに行くときどっちの駅で降りるか迷うとかそういう簡単な話です。

 そこで抜本的に「場所」という概念を書き換えることにしました。イメージとしては縄文時代の村落のようなものを考えてみてください。たくさんの人が歩く軌跡を線で表現しましょう。あるときトイレに行って、あるとき骨を捨てに行って、狩に行って、魚を捕りに行って、眠って……そんな動きが10人分も重なれば、“なんとなくたくさんの線が重なっているあたり”を見つけることができます。

 それはまるで糸が絡まった毛玉のような形をしていて、そこから四方八方に線が伸びていることでしょう。このように線がもつれているあたりを、「場所」と呼ぶことができます。実際、幾らかの民族で場所はそうした方法で表記されることがあります(ワルビリ族の例)。

考え方の例:生活動線

 私たちに親しまれている言葉で言えば、生活動線というやつでしょう。キッチンや洗濯機やクローゼットという場所が先にあって、それを結ぶ線ができるという考え方だと、ずいぶん過ごしにくい家になることが知られています。結果としてクローゼットが別の場所になったり、部屋の中に雑多に洗濯物を干したりしてしまいます。

 重要なのは、生活上動きやすい、頻繁に動く通路上にそれらのものを配置できるような住宅構造を作ることです。つまり、人間の動きが先にあって、その上に(特定の名前を持った)場所が生み出されるのが自然な「場所の生成」なのです。

 

蛇足

 たくさんの移動が場所を生み出す話は、実はゲームでも大いに実践されています。オープンワールドのゲーム開発において、人海戦術的なテストプレイでレベルデザイン(空間設計)を行なった「ゼルダの伝説ブレスオブザワイルド」は有名な例です。

 

news.denfaminicogamer.jp

個人的にはこの記事が好き

 

www.4gamer.net

レベルデザインについてはこちらも参照

 

 目的地を先において、移動経路を作るのではなく、たくさんの人がプレイした時に空間にたくさんの軌跡が作り出され、その軌跡が編み込まれていくなかで、三角と四角を利用したレベルデザインが確立されていきました。場所の名前や存在意義が先にあったのではなく、たくさんの人が移動するところに「●●が見える丘」という機能を見出していったわけです。

 このように考えると、こうした理論化はやはり思わぬ実用性・応用性を持っていることがわかると思います。

 

次回へつづく