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探索空間理論に基づくシナリオ工学の基礎1

はじめに

 拙著「Closed Rooms」において展開した〈探索空間〉概念はその広範な応用性にも関わらず、この著作以降考察が展開されてこなかった。本論は開発の遅れているTRPGシナリオの工学的技法についての研究を促進する目的から、〈探索空間〉を中核に置いた場合のシナリオ工学論の確立を目指すものである。

 〈探索空間〉理論について解説が行われたテキストは現在二つしかなく、一つは「Closed Rooms」、もう一つは本ブログの記事「シナリオの構成要素とその組み合わせについて」である。これらのテキストではその基本的な発想法を解説し、シナリオ構築の工法として〈探索空間〉を利用する方法が解説されていた。

 本論が目指すところは、〈探索空間〉概念を主軸にしたシナリオ構築の“工学化”である。したがって直ちにシナリオ構築に利用できる工法の確立を目指すものではなく、いわば基礎研究の領域に属する研究レポートである。その遠い目標を実現するために、本論では特にシナリオ工学における【工法・構造・機能】の三つの概念の分解を試みる。さらにシナリオ動学とシナリオ静学を分離することで、混淆したシナリオ論の住み分けと議論の厳密化の前提となる領域分解を実現する。

 本論を通じて、人口に膾炙する「シナリオ構築法」や「シナリオの書き方」といった概念が、実際には「シナリオ工法論」に過ぎず「シナリオ構造論」や「シナリオ機能論」を度外視していることが理解できる。このことは、以後シナリオ工学を論じる際の基本的な考え方として重要な役割を果たすにちがいない。

 

 

〈探索空間〉概論

〈探索空間〉とは

 そもそも探索空間はクトゥルフ神話TRPGのシナリオ設計のために作った用語であった。その初出時、この概念は次のように定義されていた。

探索空間の定義

探索者が謎や危機に関連した行動を行うとき、その行動を支えている状況や環境の集合

 状況や環境の集合として定義しているため、探索空間は直接に時空間を指す用語ではない。たとえば同じ神社であっても昼間と夜間では異なる情報が得られることがある。あるいは同じ図書館であっても、探索者がどの本を必要としているのか、本を探すに十分な時間的なゆとりがあるのかなどの諸条件によって異なる行動が実現する。

 完成した探索空間の意義は「特定の行動を促すこと」から解釈できる。しかし探索空間を執筆者が構成しようとするとき「特定の行動を実行不可能にすること」という側面を見落とすことはできない。たとえば神社のご神体に秘密があると知っていたとしても、村人たちの監視の目がある状況を用意することでその行動を阻害することができる。結果として夜間に人目を盗んで神社を再訪することを促すことができ、夜間だからこそ発生するシナリオ上重要なイベントの確実な発生に結びつく。このようなシナリオ構成の基礎になる概念として、探索空間の概念が持つ意義は非常に大きい。

 

シナリオに行為項はない

 そもそも探索空間の定義に含まれている「謎や危機に関連した行動」とは〈行為項〉というナラトロジーの用語を平たく表記したものであった。この言葉は当ブログの記事においてクトゥルフ神話TRPGのために再定義されている。

行為項(アクタント)

探索者の行う物語的・問題解決的に意味を持つ行為

シナリオの構成要素とその組み合わせについて【クトゥルフ神話TRPG】 - TRPGをやりたい!

 この定義上、行為項は探索者が実際に参加したときに初めて実現するものである。しかしこの定義を提唱した当時はこのことが厳密に考慮されておらず、シナリオとセッションの区別が曖昧になっていたのである。

 セッションの際に初めて現れる動的な現象である行為項を、シナリオが直接に指定することはできない。シナリオにはセッションにおいて実現しない行為項を支える探索空間(柔らかく言えば展開の分岐)も記述されている。したがってセッションは行為項のネットワーク構造を取るが、シナリオは行為項のネットワーク構造をとらないのだ。

 このことはセッションによってシナリオの多様な展開から一つの物語が選び取られることと関係している。一回性のセッションにおける結末が導かれた原因や理由は、そのセッションで実現した行為項の連結状況に求められる。しかし多様な結末を含むシナリオの段階では、「物語的・問題解決的に意味を持」ったかどうかを確定することができないのだ*1

 

行為項のネットワーク理論から探索空間の構造論へ

 したがってシナリオ構造を論じる際にアクタントのネットワーク構造を論じるアクターネットワーク理論を利用するのは本質的に誤りである。シナリオの段階では行為項を抽出することができず、この理論はセッションの事後分析にのみ利用できるからである。

 そこでシナリオを探索空間の連結構造と理解することで、異なる構造論の可能性が明らかになる。すなわち探索空間連結構造の構造論である。これは過去に発生した事態を説明するために発達したアクターネットワーク理論に対し、これから起こりうることを論じる新しい議論への哲学的視座の転回を含んでいる。このため探索空間構造論は独自の理論的整備を必要とする。

 本論が「シナリオ工学論」を確立するものであると主張した理由もこの点に由来する。他の領域における議論を参照しつつ統合性のない姑息な擬似理論を散発的に記述してきた現状から、統合性ある一つの理論体系としてシナリオを論じる新しいステージへの移行を目標としているのである。

 

 

次回:探索空間の構造論の3つの照準【工法・構造・機能】

 

*1:一つの結末を導くために重要な展開も、他の結末とは無関係であることがある。この例外は一切プレイヤーに自由な判断が許容されない一本道のシナリオだけである。