TRPGをやりたい!

TRPGのトビラをひらこう!

システムにおけるデータの寡多とプレイヤーの活躍についての考察ノート

 クトゥルフ神話TRPGからTRPGに入った身として、このところとある問題にようやく気付きました。クトゥルフ神話TRPGと他のTRPGで、一つだけものすごく違う点があるのです。

 

 それは「ほかのTRPGは、データ量が多い」ということです。

 

 愛好してきたソード・ワールド2.0で5・6レベルに差し掛かってきたことに加え、このところダブルクロス3rdやアリアンロッド2Eをプレイして、その違いをようやく理解するに至りました。

 それと同時に、次のことも理解しました。

 標準的なTRPGはむしろデータが多いし、データを理解しなければ遊べないものだということです。どのコンボで攻撃すると効率がよく、エネミーの強さはどうやって調整し、データ面の知識に基づいて敵に応じた戦略を構築し…そうやって少しでも強い敵を効率的になぎ倒すのがゲームの中核的な目標のひとつです。

 しかしクトゥルフ神話TRPGは違います。どの銃が強いとか、マーシャルアーツキックが強いとか、そんなことを覚えて神話生物をばったばったとなぎ倒したとしても、特に意味はありません。ゲームの目的が違うからです。どんなに強いキャラクターを作っても敵は強大ですから、なんとかしてデータ面での処理が必要になるシチュエーションを避ける技術が求められます。

 

 ここで試論として、TRPGシステムを二つに大別して考えてみましょう。すなわち「データ重視型」と「データ回避型」です。あくまでこの区別は理念型にすぎませんので、すべてのTRPGがいずれかに分類できるというわけではありません(丸く言えば、今からイメージで語るよという意味)。

 今日はこの二つの理念型が持っているそれぞれの強みと弱みを整理してみようと思います。

 

 

仮定された二つの型について 

データ重視型システムが導く方向

 システム的にデータを重視するとどのようなことが起こるのでしょうか?

 はじめに想像できるのが、「データの理解度がプレイでの活躍度を左右する」という性質です。これはTRPG以外の多くのゲームにも共通するゲームの一般的な性質です。ゲームプレイに習熟するとはすなわち、データの意味や扱いに習熟することを意味します。どのスキルの組み合わせが理論上最高火力だとか、一番回避力を高める種族と装備の組み合わせはこれだとか、そういったことを理解したプレイヤーこそが「データ重視型」システムのよきプレイヤーなのです。

 一方、この性質はゲームマスターにも次の能力を要求します。すなわち「データ上でもプレイヤーを楽しませる」という能力です。プレイヤーたちがせっかくデータに習熟しても、そのデータを活用できなかったり、データ的に見て強すぎる(弱すぎる)敵を配置するというのは拍子抜けで、ゲームとして面白みが損なわれてしまいます。

データ重視型システムの性質

  •  プレイヤーのデータの理解度が、セッションでの活躍度を左右する
  • ゲームマスターはデータ上でもプレイヤーを楽しませる必要がある

 

データ回避型システムが導く方向

 一方でデータを多用しないシステムだとどのようなことが起こるのでしょうか?

 データを重視した場合に比べて想像がつきにくいかもしれません。しかし幾つかの帰結を導きます。重視型との違いを過度に強調すれば「データの理解度はセッションでの活躍度を左右しない」また「データ上でプレイヤーを楽しませる必要はない」ということになるでしょう。ではいったい何が活躍度を左右し、何を持って楽しませる必要が生じるのでしょうか

 プレイヤーの活躍を左右するのは、データの理解度ではなく「発想力」とか「会話能力」といった別の要素です。データさえあればスキルやダイスを利用した“判定”で済ませられるはずのものを、データが運用されないばかりに極めて曖昧模糊としたゲームマスターの“判断”で決定しなければならなくなるからです。

 したがってゲームマスターに要求される能力も全く異なるものになります。ゲームマスターはプレイヤーの優劣の重要な要素となる「発想力」や「会話能力」などの曖昧模糊とした能力を評価し、その能力に応じて楽しみを感じさせる必要があるのです。

 もし優れた推理力や口車を発揮したにもかかわらず、それがゲームマスターの独断で失敗に終わってしまったなら、プレイヤーは不満を抱くことになります。これは「データ重視型」におけるデータを活用できなセッションの「データ回避型」版と言えます。

データ回避型システムの性質

  •  データの理解度よりプレイヤーの発想力や理解力が重要
  • 発想・理解・表現力をゲームマスターが判断して楽しさを作る

 

二つの理念型についてまとめ

 これらの理念型は、実際にはグラデーション状に曖昧につながっています。チョコレートのカカオ含有率のようなもので、100%のカカオはもはやチョコレートではありませんし、0%カカオならもはやそれはただの砂糖です。同様に、100%データ重視型システムはありませんし、0%データ重視型システムも存在しません。

 実際に存在しているTRPGシステムは、このどちらの要素をどのくらい含んでいるのかによって、それぞれに絶妙な調合バランスを作っているのです。

 

 

データが生み出す利点と欠点

 それぞれの性質を特徴的に取り出してみたところで、いったいそれがプレイヤーたちにどのような影響を与えるのかを想像してみましょう。参照文献などのない推論に過ぎませんので、読むときには話半分で読んでいただければ十分です。皆さんの考えるきっかけになればと思い、以下に整理してみます。

データが導くゲームの平等性

データさえ覚えれば活躍は保障される

 「データ重視型」システムがよく誤解されるのは、データを使いこなせる人間“だけ”が活躍できるという過度に狭量なものの見方に原因があります。実際にはこれとは全く逆のことがデータ重視ゲームについていうことができます。

 すなわち「データの扱いに慣れさえすれば、誰でも活躍できる」のがデータ重視のゲームです。プレイヤー本人がどんなに発想力や交渉力に乏しくとも、知識系・交渉系スキルを適切に取得すれば、必ずそれらのシーンで活躍することができます。実際にはエネミーデータなんて微塵も知らなくても、知識判定に成功すれば相手の情報を知ることができるという点に、このことがよく現れています。

プレイヤー能力の不純物を取り除く「フィルター」

 データの扱いに慣れることは、曖昧模糊とした発想力や交渉力を高めることに比べれば簡単なことです。あるいは、プレイヤー個人の能力を「ゲームデータ」というフィルターでろ過し、ゲーム内にデータ以外の余計な能力が介入するのを防いでいると表現してもよいかもしれません。

 プレイヤーたちは(ゲーム外の性質を度外視した)ゲーム内の存在として「データ化」されるのです。このフィルターが機能している限り、プレイヤーたちの実社会での能力は無視され、平等な「プレイヤー」としてゲーム世界に関与することができるのです*1

チュートリアルが必須

 高い平等性こそ確保できていますが、プレイヤーが皆等しく活躍するためには「データの扱いに慣れる」という練習期間が必要になります。この練習期間はコンピューターゲームでは通常「チュートリアル」と呼ばれています。

 古いコンピューターゲームでは稀ですが、今日のコンピューターゲームでは往々にして充実したチュートリアルが用意されています。

チュートリアルの構造

 もっとも基本的な動作のやり方を一つ覚えれば、それだけで克服できる障害が現れて実践します。続けて少しだけ高度な新要素が紹介され、それを使わなければ克服できない障害が現れます。

 そうしてしばらく遊んでいると、克服できなさそうな障害が現れ、プレイヤーは悩むことになります。そしてしばらく考えると、初めに学んだことと次のことを組み合わせれば達成できることに気づき、そのゲームの遊び方を理解し始めます…

 せっかく「データさえ覚えれば誰でも活躍できるゲーム」ならば、このチュートリアル期間を作ることがゲーム流通のための条件になります。いきなりデータに慣れた上級者とまったく慣れていない初心者が混ざって遊ぶと、初心者はただ上級者を呆然と見るだけになってしまうのです。

 

データ回避により生まれるゲームの多様性

データを覚えなくても活躍できる

 データが最小限に抑えられたシステムならば、プレイヤーは何かを学ぶ必要はありません。最低限のゲームルールと“コツ”を覚えてしまえば、あとは自分の発想力の限りで自由に遊ぶことができます。データに慣れる必要がないという点では、素人が遊ぶ将棋*2やオセロ、あるいは幾つかのトランプゲームに近い感覚で遊ぶことができます。

 もちろんそれでも本当に習熟したプレイヤーとの差は大きいものの、ほんの数十回のゲームプレイ回数の差ならば、“コツ”さえ掴めばやすやすと覆すことができてしまいます。素人でも“コツ”さえ掴めばすぐに活躍できるという性質は「データ回避型」の大きな強みです。

プレイヤー能力を選択的に取り込む「ホール」

 しかしデータを回避したとしても全ての能力を自由にゲームに持ち込めるわけではありません。たとえばゲームマスターに現ナマの賄賂を渡して解決するゲームはもはやTRPGではありません。あるいは殴り合いをして解決するのもTRPGとは言い難いでしょう。

 それでもなぜか言葉の殴り合いをして解決するのはTRPGとして認められているというところに「データ回避型」の興味深さがあります。つまりいくら「データ回避型」であったとしても、〈ゲームに持ち込んでいい能力〉と〈持ち込んではならない能力〉がルールとして定められています。

 「データ回避型」の性質が色濃くなれば、ゲームルールはフィルターと言えるほどきめ細かいものではなくなります。プレイヤー能力の幾つかを選んで素通しする「ホール(穴)」構造がルール的に形作られることになるのです。

共通の判断基準が必要

 結果として「データ回避型」システムでは、「データ重視型」ほどの平等性は担保されません。プレイヤーの能力差がデータのフィルターを通さず直接影響するため、活躍できない人は活躍できず、活躍できる人は活躍できるという、人を選ぶゲームとなります。

 しかしそれと同時に、どの能力を重要視するのかによって多様な判断基準が生まれるのも「データ回避型」の特徴です。交渉能力など要求せずに、場を盛り上げる能力だけを重要視してみたり、シリアスなセリフ演出だけを重視してみたり、セッションによってどの能力を重視するかを柔軟に変更することができます*3

 この性質から、「データ回避型」では「どの能力をゲームに持ち込むことを重要視するのか」という判断基準の共通認識を作らなければなりません。それはセッション単位とかゲームマスター単位で変化してしまうため、自分の活躍できる“身内”へ定着していく現象がシステム的にも必然的に伴われることになります。

 

 

まとめ:自分に合うシステムを探そう

 繰り返し述べておきますが、データ重視型とデータ回避型は理念型にすぎません。すべてのTRPGシステムは両方の性質を持っています。ただし、それぞれのシステムでその配合比率が異なります。

 最も重要なのは、どの程度データを重視したゲームをあなたが面白く感じるかということです。今遊んでいるゲームが物足りなかったり、うまく活躍できていなかったりするときには、ゲームシステムを乗り換えるタイミングかもしれません。そういった場合には、自分がデータを使って強いキャラクターを作って活躍したいのか、自分の自由な発想が受け入れられるゲームシステムで楽しみたいのか、どちらなのかを意識してみると、一つの判断基準になってくれることでしょう。

 

 

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*1:なお課金ゲームはこのフィルターのうち金銭にだけ穴が空いている。

*2:棋譜や詰将棋などの勉強を始める前という意味で「素人が遊ぶ」とつけた

*3:あえて交渉場面を作らなかったり、なぞなぞを用意したり、キャラクタートークを楽しむ場面を用意したりすることで対応できる。