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TRPGをやりたい!

TRPGのトビラをひらこう!

プレイヤーとして参加するときの心構えについて

 このところセッション数をぐぐっと増やして、様々な方のところで遊ばせていただいております。その中で最低限のマナーとセッションを楽しむための幾つかの姿勢について考えることがあったので、自分なりに気をつけていることを整理しておこうと思います。

 

 最も重要な観点は、ゲームマスターとして参加するときとプレイヤーとして参加するときとで、心構えやセッションへの貢献方法は基本的に変わらないということです。すなわちシナリオの魅力を引き出し、他のプレイヤーの個性を活かすということです。この観点から、プレイヤーとしてわたしが気をつけるようになったことを以下に示しておきます。

 

 

プレイヤーとは何か

危険な間違い:プレイヤーは消費者?

 セッションをするときに、プレイヤーという立場はゲスト・消費者と勘違いされがちです。この誤解に基づけは、ゲームマスターとプレイヤーはお化け屋敷の運営と客くらいの隔たりがあることになってしまいます。プレイヤーはその卓(アトラクション)の良し悪しを体験して批評して、口コミサイトよろしく感想を吐露します。

 こうした関係は有償でゲームマスターをしているプロGMとの間でだけ成立する関係です。TRPGセッションでゲームマスターと直接にお金を授受することは極めて稀であり、その点で批評者や受益者としてのプレイヤーという姿は本来存在しません。

 まずは自分がただの口うるさい消費者になっていなかったか、その点を省みてみましょう。

 

ゲームマスターとプレイヤーの地位問題

 このような誤解の原因となっているのが、ゲームマスターとプレイヤーの地位の違いです。ゲームマスターはシナリオを知っており、ルール裁定を行うという点でセッションに対する権限を多く持っています。このことから、比較的権限の多いゲームマスターを運営者とみなしてしまいがちです。いうなればオンラインゲームの運営と同じように、十全なサービスの提供を要求してしまうのです。

 しかし実際には、TRPGというゲームはその自由度ゆえに、プレイヤーにも相応の権限を提供しています。たしかにシーン別のダイス判定の裁定やエネミーの配置などを左右することはできませんが、プレイヤーは様々な方法でゲームマスターに展開・演出の変更を提案することができます。

 ただしここでもプレイヤーは消費者ではないということを忘れてはなりません。演出の提案を行うことはできても、それを採用するかどうかはゲームマスターの判断によります。採用されなかったからといって口撃する権利はプレイヤーにはありません。

 

 

基本的なスキル:コミュニケーション

 したがって、セッションに参加するすべての人にとって重要なスキルはコミュニケーションの能力です。といって、ここで求められるコミュニケーション能力はその場で当意即妙なアドリブを生み出していく高度な情報処理能力とは全く異なります。もしそんなものが必要なのだとしたら、TRPGは選ばれた人々にしかプレイできなくなってしまいます。

 ここでいうコミュニケーション能力とは、むしろ自分の期待する「楽しさ」や「避けたい展開」などを丁寧に打ち合わせしておく「事前の調整能力」を意味します。セッションの最終目標は参加者全員の満足を作り出すことにあります。そのことに比べてみれば、ゲームマスターに責められるべき点がないとか、プレイヤーとして間違ったことはしていないなどという点は軽微な問題です。

 

「当然の前提」そのものより「語らないこと」が問題

 特に危険なのは「当然」このようであるべきだとする思い込みです。これはすべての参加者に共通します。有名なものでは「クトゥルフ神話TRPGでは探索者は全員狂って死ぬものだ」という「当然の前提」を挙げることができます。この認識自体は責められるものではありませんが、これをあえて一度も事前に述べずにセッションに臨めば、キーパー側でもプレイヤー側でも、他の参加者と認識のズレが生じてしまうことがあります。

 ここで重要なのは、「当然の前提」そのものが間違いではなく、それを「事前に語らなかったこと」が間違いであるという点です。キーパーが想定しない無謀な行動に走ってしまったり、他のプレイヤーを巻き込んでしまったりすれば、その人々が考えていた「別の前提」に反してしまう恐れがあります。こうしたときに「クトゥルフなんだから死ぬだろ、当然だ」と憮然として言い放つようなことは、プレイヤーとして避けるのが賢明でしょう。

 繰り返しますが、その認識が間違っているからではありません。「事前の調整を怠った」という点にこそ反省の要素があるのです。何が正しい、誰が間違っているなどということは、参加者全員の満足を作ることに比べれば、軽微な問題なのです。

 

「事前に打ち合わせること」における平等性

 こうしてプレイヤーとゲームマスターにはある点において、等しく同じ地位が与えられていることが見えてきます。その平等性はゲームマスターが何を面白がり、プレイヤーが何を面白がるのか、それを提示し合う場面で現れます。まだセッションが開始されていなければ、ゲームマスターはプレイヤーの様子を見て展開を修正することもできますし、プレイヤーは自分がトラブルの原因になるかもしれないと離脱することもできます。

 あとはこの話し合いや説明をしっかりと理解し、その合意を尊重してセッションに臨めば、トラブルの危険性はぐっと少なくなることでしょう。

 

 

セッションが始まってしまったら?

 しかしそうした話し合いを持たなかったからと言って、プレイヤーがキーパーの配慮不足を指摘すること(あるいはその逆)もまた責められるべき態度です。その場合自分が説明を要求しなかったことが問題なのであり、そのまま参加してしまった以上、そのセッションを楽しく彩ろうと努力する責任がプレイヤーにも等しく課されます。

 

最も重要なこと:セッションは楽しまなければならない

 まるでパラノイアのようなことを言いますが、これは極めて重要な原則です。プレイヤーとして参加する以上、ゲームマスターや他のプレイヤーがつまらないと感じることがないように最大限の配慮を行うのが望ましいと言えます。自分が少しでもつまらないと感じてしまったなら、面白くするための方法を考えましょう。他の誰かがつまらないと感じていそうなら、その人を面白がらせる方法を考えましょう。

 最も格好のいいプレイヤーというのは「あのプレイヤーがいればどんなシナリオ、ゲームマスターさんでも楽しいセッションになってしまう」と言われるようなプレイヤーではないでしょうか。「一緒にプレイしたくなるプレイヤー」は、必ずしもデータに強いわけでも思考力が優れているわけでもなく、「楽しいを作り出すことに長けている」プレイヤーに違いありません。面白い行動で場を和ませたり、シナリオの味わいをより深めたり、他のプレイヤーの個性を引き出したり…そんな力のあるプレイヤーの姿こそ、目指すべきプレイスタイルなのです。

 

 

まとめ

 「私が参加したからには、このシナリオ、このセッション、あなたのキャラクターは面白くなります」と言える自負を持って、他のプレイヤーとの相談を欠かさないようにしながら、それぞれの思う面白さを引き出していくプレイングを心がけましょう。このような態度を意識するとき、もはや自分がゲームマスターとほとんど平等な地位にあって、セッションを盛り上げているのだと自覚することができるはずです。

 トラブルを避けるためというより、参加者全員でセッションを楽しむために、こうした態度を意識してみてはいかがでしょうか。