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TRPGをやりたい!

TRPGのトビラをひらこう!

ポケモンGOのリリースにあたって【コンテンツ流通戦略として】

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ついにポケモンGOが日本でもリリースされました。早速街中でスマホ片手に歩く方を見かけて、これから流行が広がっていくのかと楽しみです。

 

さて、この社会現象にもなったポケモンGO。本当にそんなに特殊なゲームだったのでしょうか?

私の結論は「そう特殊なゲームではない」というものです。それでもこのゲームが社会現象になったのは、ポケモンが長い間に培ってきたキャラクター力とブランド力の結果だと考えています。今日はその戦略性をまずはおさらいしてみましょう。

そのうえで、このブログの本分に立ち返り、TRPGにとっての「ポケモンGO」ブームがもつ意味を考えてみようと思います。

 

 

 

既存要素の詰め合わせ

ポケモンGOを特徴づけている要素は一体何でしょうか?

AR? 現実のマップとリンクしていること? 自ら歩いてゲームを進行させること? それとも数百に及ぶポケモンのコレクション?

 

お気付きの通り、これらの要素は全て既存のアイディアでした。拡張現実ARについてはすでに3DSのリリース時からニンテンドーでも採用されていました。現実のマップとリンクさせるゲームとしては「Ingress」というスマートフォンでプレイする陣取りゲームですでに利用されていました。

yugioh-hack.com

自らが歩いてゲームを進行させるというアイディアについて言えば、万歩計型ゲームの流行の時代から発想は変わりません(ヨーカイザー、ポケットピカチュウ など)。そしてポケモンのコレクションという要素は、それこそポケットモンスター赤・緑がリリースされたその時から変わらないコンセプトです。

 

つまり、ポケモンGOは特段新しいアイディアを持ったゲームではありません。先に引用した記事にも書かれている通り、「カジュアルな位置ゲー」として既存のゲーム界に位置づけることができます。この記事で指摘されているように、位置ゲーとしては魅力に欠けているのも、その「カジュアルさ」から納得です。(モバイルバッテリーの携行が必須というも、カジュアルな楽しみ方を前提にしたら変わるのかなと思いつつ)

 

というわけで、ポケモンGOを論じるときの一つ目のキーワードは〈カジュアルゲーム〉です。

 

 

なぜ社会現象になったのか?

カジュアルゲームだから人気になった、といえばそれまでですが、ここには「ポケモン」というコンテンツのもつ統一的な戦略が関わっています。

 

菊とポケモン―グローバル化する日本の文化力

菊とポケモン―グローバル化する日本の文化力

 

 

遡って1998年。初のポケモン映画にして最高傑作の呼び声高い「ミュウツーの逆襲」および「ピカチュウのなつやすみ」公開に合わせて、興味深い企画が実行されました。ポケモンジェットです。機体から機内サービスまでキャラクターコンテンツで統一し、ANAではスヌーピーに次いで実現したキャラクターペイント機となりました。

この戦略には直感する以上のインパクトがあります。ポケモンブームの中で、「飛行機に乗る」という経験を「ポケモンに会いに行く」という経験に書き換えてしまったのですから。

 

・・・関東圏の方なら思い当たることがあるのではないでしょうか?

JR東日本の夏の風物詩。何かカードを持って駅を渡り歩く子どもたちの姿。駅構内に掲げられたポケモンの看板。そう、ポケモンスタンプラリーという企画も思い起こされます。ここでもポケモンが繰り出した戦略は変わりません。「電車に乗ってあちこちの駅に行く」という経験を「ポケモンに会いに行く」という経験に書き換えてしまっているのです。

 

まだまだ思い当たるフシがありますね。

3DSに移行したのち、すれ違い通信が導入された結果、ポケモンプレイヤーはすれ違うことで街を発展させたり、アイテムを手に入れたりしてきました。東京在住の研究者時代には、私もポケモンをかばんに忍ばせて大学と往復したものです。

このとき、私にとっての「外出」は副次的に「ポケモンのゲームをより楽しむためのもの」として書き換えられてしまっています。

 

・・・もうおわかりいただけたでしょう。

「ポケモン」の基本戦略は、現実世界の経験をポケモン色に塗り替えることにあったのです*1

 

こうしてみれば、むしろなぜ今日までポケモンGOがリリースされなかったのか、不思議でなりません。ポケモンGOこそ「町中を歩いて散策する」という経験を「ポケモンに会いに行く」という経験に書き換えてしまう“ポケモン的ゲーム”の最たるものなのですから。

 

 

うちのブログ、TRPGのブログなんで

さて、ここまでの議論を通じて2つのことを強調してきました。

ひとつ目のキーワードは〈カジュアルゲーム〉。

もう一つのキーワードは〈経験を書き換える〉。

これらのキーワードは、これからのゲームマーケティングの上で欠かせない要素になっていくと私は考えています。

 

とはいえちょっと一服しましょう。

私の所属しているTRPG部でも、ポケモンGOはリリース直後から話題をさらいました。

 

…1、2時間くらい。

 

そして導き出された結論は、「飽きた」とか「クソゲー」という評価です。

 

なぜなのか? 理由は簡単です。

TRPGなんてものをプレイするのは、コアゲーマーであってカジュアルゲーマーではないからです。普段からTRPGやTCG(トレーディングカードゲーム)、ボードゲームをプレイして、ブラフ(はったり)の駆け引きや戦略構築に頭を悩ませていたプレイヤーにとって、今更カジュアルゲームを楽しむ余地は残っていません。私たちは救いようのない末期的ゲーマーなのです(南無三)。

 

と、手を合わせたところで本題に復帰しましょう。

 

TRPGのように存在自体がノン・カジュアルなゲームでも、カジュアルゲーム化に成功すれば大きなプレイヤー層の拡大が望めます。

これはIngressというコアゲーマー向けのゲームが「ポケモン」の力を借りてカジュアル化されたことで社会現象レベルで流通したことから裏付けられます。位置ゲーとしては全く物足りないポケモンGOが流通したように、TRPGとしては全く物足りない何かが流通する可能性は十分にあるということを心に留めておきましょう。

 

それと同時に、経験を書き換えるという方向性も忘れてはなりません。

「TRPGをするための時間を確保する」という発想では、これからのゲームコンテンツの競争では明らかに不利になります(時間を確保するからこそ可能になる楽しさがあるのは事実ですが、マーケット的には弱いのも事実です)。そこで「生活上の経験がTRPGに繋がっている」というような関係を築くことが求められます。

 

・・・とはいえ私はエンジニアではありませんし、ゲームシステムの設計についても素人です。一体どのようなシステムがそれを実現し、これを取り入れた新しいカジュアルTRPGがどのような姿をしているのか、現時点では想像することもできません。

しかし新しいムーヴメントが起きるたびに、TRPGでは何ができるのかを考えるよう提言する姿勢だけは貫こうと思う次第です。想像力豊かなクリエイターに期待しつつ。

*1:この点夢と理想の世界を築くことに終止したディズニーの戦略とは全く異なっているのもまた興味深い。ディズニーランドがあってもポケモンランドは必要ない。あるいは全く異なる姿をしているはずだ。