TRPGをやりたい!

電源・非電源ゲーム全般の紹介・考察ブログ

【コラム】サブカルチャーの中のTRPG

第2次TRPGブームはサブカルチャーの爆発的な拡張の一環と見るべきだろう。すなわち00年代の「オタク=カルチャー」の延長線上にこれを位置付けてみようというのだ。

実際、第2次TRPGブームの火付け役はオンライン=オタク=カルチャーの拠点である「ニコニコ動画」におけるリプレイ動画の登場だったことは誰の目にも明らかだ。TRPGとは無関係に生きていた少年・少女たちが数十万と行き交うニコニコ動画の交差点。そこに掲げられたリプレイ動画という宣伝看板は、彼ら・彼女らにとっての強烈なプロモーションとなった。

ニコニコ動画におけるTRPGリプレイ動画の発展は、その後非常に特徴的な展開を見せた。二次創作キャラクターたちがプレイヤーとなり、原作の個性をセッションに持ち込んで、メディアミックスなストーリーを展開する一つのステージとして利用されたのである。それはTRPGがサブカルチュアルなメルティングポットの中に叩き込まれたことを如実に表していたのかもしれない。

 

しかし、TRPGは本当の意味で新しい時代を迎えたと言えるのだろうか?

 

メニュー

1.第1次ブームとサブカルチャー

2.創作的受容の時代

3.キャラクター化したサブカルチャー

4.相互的発信の時代を切り拓くために

 

1.第1次ブームとサブカルチャー

実はTRPGは初めからサブカルチャーのメルティングポットの中にあった。

1989年『ソード・ワールド』の発売以降、国産TRPGが主導する第1次TRPGブームが到来したことはよく知られている。1974年にDangeons and Dragonsが米国で発売されていたことを思えば、随分と遅いブームの到来である。少しこの70年代からのサブカルチャーの流れをおさらいしてみれば、このことがよくわかるはずだ。

 

日本にとっての70年代サブカルチャーを特徴づけるのは、スーパーロボットだった。D&Dがアメリカで産声をあげた74年には、宇宙戦艦ヤマトとゲッターロボがアニメ放送され、79年の機動戦士ガンダムに至るスーパーロボットの黄金期と呼ばれている。

一方の80年代は家庭にスーパーロボットがやってくる時代になった。83年のファミリーコンピューターの発売が、間違いなく新しいサブカルチュアプラットフォームとしての『ゲーム』を開拓したのだ。85年に『ドルアーガの塔』、86年に『ゼルダの伝説』と『ドラゴンクエスト』、そして87年に『ファイナルファンタジー』が発売される。

同時に発生した1984年以降のライトノベルレーベルの誕生も見過ごすわけにはいかない。ライトノベルで展開されたファンタジー世界は大いに当時のサブカルチャーを盛り上げることになる。結果として1989年には富士見書房によるファンタジア大賞が創設された。80年代末に国産ファンタジーが豊かな土壌を醸成していたことは、1988年に発売された『ロードス島戦記』や1989年に連載が開始された『ベルセルク』などからも窺い知ることができる。

こうして一つの仮説が浮かび上がってくる。すなわち、第1次TRPGブームの火付け役は、こうしたサブカルチュラルなファンタジーブームだったのではないだろうか? 1989年に『ソード・ワールド』が発売されたとき、すでに世間では『ドラゴンクエスト3』が発売され、『ロードス島戦記』が読まれ、『ベルセルク』が連載開始されつつあったのだ。

 

 

2.創作的受容の時代 

もしもこの仮説が正しければ、TRPGそのものが進化したとか、魅力が再発見されたとか、そういうことは全く起きていないというべきだ。むしろ人々がサブカルチャーを楽しむためのプラットフォームとして『TRPG』が地位を得ているかいないかだけが重要なのである。となれば2つのTRPGブームとは、サブカルチャーの潮流の上に偶然 “TRPG島” があっただけの、シンプルな現象だったと捉えるべきだろう。

80年代末にファンタジーの流行がTRPGを後押ししたように、現在では複数のオンラインカルチャーがTRPGを後押ししているに過ぎない。1999年に開設され移設運営が開始された『2ch』、2000年にリリースされた『Movable Type』を筆頭にしたブログサービス、04年の小説投稿サイト『小説家になろう』の開設、05年『Youtube』06年『ニコニコ動画』の誕生…これらの媒体が人々を表現者に作り変えたことはしばしば指摘される。サブカルチャー的作品を自分の創作の道具にしてしまう態度が00年代後半以降の主流となったのだ。この『創作的受容』という新しいムーヴメントに便乗する資格がTRPGにあったことが、第2次TRPGブームの実像なのではないだろうか?

 

だからこそ、TRPGはサブカルチャーの試練にかけられた。様々なニーズに応える能力があるのかを試され、本質とは随分乖離した新しいシステムやシナリオが要求された。それらはすべて、『サブカルチャーの創造的受容』のためのツールとしての潜在力を試されていたのである。

 TRPG業界はニーズに全力で応えようとしている。業界人の体力をすり減らすようにイベントや出版が相次ぎ、ニコニコ動画サイドとのコラボレーションやライトノベル、声優とのコラボレーションなど、サブカルチャー全体との相互関係を反映した企画が立て続けに発表され、盛り上がりを見せ続けている。

 

 

3.キャラクター化したサブカルチャー

さて、00年代後半以降のサブカルチャーを特徴づけるのは『キャラ化』であるとする仮説がある。前半に『セカイ系』が隆盛して、後半に『キャラ化』したというのがサブカルチャー論として定説化した。

当然、TRPGリプレイもその潮流の中に置かれている。リプレイ動画の投稿は07年には開始されていた。当初でこそオリジナルキャラクターの利用が目立ったが、すぐに一つの潮流に収束していく動きを見せる。すなわち多くの再生数を獲得するのは『キャラ』を使ったTRPG動画だけ、という潮流だ。

これを決定付けたのは07年に登場するアイドルマスターのキャラクターを利用したリプレイ動画の登場である。どどんとふのランが2008年だったこと、大ヒットした『ゆっくり妖夢と本当は怖いクトゥルフ神話』シリーズが2012年の投稿だったことを思えば、07年に『キャラ』を用いたTRPGリプレイ動画を投稿をすることの恐るべき先駆性が自ずと理解されるだろう。

 

こうした展開からも看取できるように、キャラクター化したサブカルチャーの中でTRPGの楽しみ方は次のように形作られた。すなわち、物語から切り離して運用可能な『キャラ』たちをシナリオという箱庭に持ち込んで遊ぶスタイルだ。『卓M@S』しかり、『本怖クトゥルフ』しかり、以降の諸動画作品は大半がこの形式によって創作されてきた。その意味では07年以降本質的な変化はおきていない*1

つまり「TRPGをプレイすること」は「動画を作ること」「二次創作絵を描くこと」「世界観設定を論じること」などと同じように、『キャラを楽しむ活動』の一環に位置付けられたのである。

 

これはやむを得ない事態だ。そもそもTRPGの第1次ブームが「漫画やゲームで展開しているファンタジー的世界を別の媒体でも楽しめる」ことによって発生していたことを思い出して欲しい。第二次ブームが「漫画やゲームで展開している『キャラ』を別の方法で楽しめる」ことによって発生していてもなんら不思議はないではないか。

結果として、TRPGはやはりサブカルチャーの模倣、反映の場として機能しているのである。

 

 

4.相互的発信の時代を開くために

TRPGがその時代のサブカルチャーの姿を写す鏡に過ぎないのだとしたら、TRPGにはある決定的な力が不足していることになる。すなわちサブカルチャー全体に対して “発信” する力である。

アニメ発や漫画発のキャラクター達がTRPGに流れ込んでくる一方で、TRPG発のキャラクターがそれらの同人活動に流出していく流れは活発ではない。これについてネガティブな理由ならいくらでも見つけることができる。特定のオリジナルキャラクターの登場するリプレイのファンが少ない、それを使った同人活動というマイナー極まる活動に労力を投じることの無意味さ、だったら自分で遊んだほうがいい…。

これらが意味するのは、やはりTRPGが現時点ではサブカルチャーに対して従属的な地位に過ぎないという悲しい現実だ。ラノベや漫画がアニメ化されて喜ばれるように、TRPGはラノベや漫画として出版社から発売されただけで大喜びになることだろう。つまり序列として下位におかれているのだ。

 

この状態に甘んじていれば、TRPG第2の冬の時代の到来も十分に可能性としてありうる。しかし逆に言えば、この状態をこそ克服できれば、つまりTRPGからコンテンツを発信していくような事業展開に成功すれば、少なくとも現状よりサブカルチャーに対する従属性は低くなり、TRPGの新しい時代を切り拓く契機になるかもしれない。

ニーズに対して応えていく絶え間ない努力と並行して、TRPGの新しい地位を築くための強気の戦略が求められている。

*1:もちろん例外があって、暇つぶし卓さんのいわゆる「うごクトゥルフ」シリーズは一線を画している