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【読書記録】壁 安部公房

私が一番好きな作家は安部公房なのですが、帰国を機に、その作品を読み返しております。

せっかくなので、私が大好きな作家・安部公房の世界を一人でも多くの方に伝えるべく、それぞれの作品の私なりの解釈と、魅力をお伝えしていこうと思います。

 

というわけで、1作品目に選ばれたのは、芥川賞受賞作の「壁 S・カルマ氏の犯罪」を含む3部作「壁」です。「壁」は、「S・カルマ氏の犯罪」「バベルの塔の狸」「赤い繭」の三つから構成されており、新潮文庫の「壁」という文庫本の中に3つとも収録されています。

壁 (新潮文庫)

壁 (新潮文庫)

 

 

「壁」という作品を一言で評するのは非常に難しいのですが、私が解釈する限り、これは次のような小説であると考えています。

 

人間と世界を隔てる壁という存在が、皮膚に成り代わって人間個人を切り取るようになったことで生じた、人間性の物質化と新しい“孤独”についての物語。

 

この解釈に基づいて、この物語の魅力を語っていきましょう。

 

メニュー

1.かろうじて、物語

2.“わたし”の極小値から

3.そして、壁になる

4.これはフィクションではない

 

 

1.かろうじて、物語

シュルレアリスムという言葉をご存知でしょうか?

20世紀初頭、アンドレ・ブルトンが牽引したフランスの芸術運動の呼称です。変態心理学者ことジグムント・フロイトが「無意識」なるものを発見したとき、これが芸術家に大きな刺激を与えました。

意識的・技巧的に製作する作品から、無意識的・根源的な美と芸術の追求というテーマが発生し、たくさんの意欲的な作品が生み出されるに至ります。代表的なアーティストとして、ルネ・マグリットやサルバドール・ダリ、エドガー・エンデなど、よく知られたアーティストがこのスタイルから作品を生み出しています。今日に至る抽象絵画の流れを生み出した芸術運動と理解しておけば十分です。

 

同じように無意識に訴えかける抽象芸術を、小説を使ってやることが可能でしょうか?

これまで小説は、人間の意識的な問題や感動を切り取るだけにとどまってきました。そこで安部公房は、人間の意識しない領域に踏み込み、その直感や認識前提を揺るがす小説を生み出そうとしたのです。

 

それゆえ、抽象絵画が何を描いているのかよくわからないのと同じように、抽象小説はいわゆる“物語”の体裁を保ちません。逆に言えば、そうした“物語”の体裁を保たないからこそ、この小説は何かを表現することに成功しているのです。

 

 

2.“わたし”の極小値から

芸術的前提を勉強したところで、小説の内容に踏み込んでいきましょう。

小説の筋は、次のようなものです。

僕はある日、名前をなくしてしまったことに気づく。同時に空っぽになった胸は、その陰圧で僕が注視したものを吸い込んでしまう。結果、書籍から砂漠の風景を盗み、動物園からラクダを盗もうとした咎で裁判の被告となる。そこで会社の同僚の女性に助け舟を出され、彼女とともにその不思議な裁判所を脱出する。名前を取り戻そうと考える僕だったが、僕の外出は名刺率いるモノたちの反乱によって妨害され、ついに唯一の救いだった彼女も失ってしまう。僕は世界の果への旅立ちを謳う映画上映に赴き、世界の果へ渡ることで今も続いているという裁判から逃れることを画策する。「世界の果は壁のうちにこそある。」映画上映はそう謡い、僕は陰圧で壁を吸い込み、胸の中に吸い込まれた砂漠のただ中に巨大な壁を渡し、次第に壁と一体化を始める・・・。

え? わけがわからない?

…そうですね、わけがわかりませんよね。

 

物語を読もうとすれば、大失敗するのがこの小説です。この本を読むときには、常に頭を動かし続け、言葉や場面の“意味”を考え続けましょう。

名前を失った主人公は、仕事も社会的権利も何もかも失います。ここで重要なのは、個人としての“わたし”と、公的な社会装置としての『わたし』の違いです。この小説では、名前を奪い取った名刺が『わたし』の役割を担います。一方、あらゆる社会的な関係を失い、個人としての“わたし”をさらけ出すことになった主人公は、自らがからっぽな存在であることを思い知ることになります。

 

彼に残されているのは、孤独です。しかしその孤独も、人と交流して解決するようなものではないです。彼はまた、物を吸い込み始めます。彼の孤独の味わいを深めてくれる砂漠。砂漠に引き寄せられるラクダ。孤独を満たすために、あらゆる物を心の中に所有しようとし続けてしまうのです。

 

そんな彼にとって、唯一、彼の個人的魅力を見ていてくれたY子は、救いとなるはずでした。からっぽの彼を見ても「彼はカルマさんです」とはっきりと言い切り、馬鹿げた裁判から連れ出してくれるのですから。

しかし、彼は自らの中に矛盾を抱えていました。彼がY子を愛好するのは、ショーウィンドウに飾られたきらびやかで女性的な衣服の総合を愛していたのと、なんら変わりないことに気づいてしまうのです。ついにY子はマネキンと肉体のモザイクへと変質し、彼の愛の異質さを嘲笑し始めます。

 

物に彩られ、物を所有することによって結ばれてきた世界との関係は、結果として、個人としての“わたし”と社会的『わたし』が分離したことをきっかけに、チグハグで混乱した状態に陥っていくのです。

 

 

3.そして壁になる

こうしてからっぽになってしまった彼は、その存在を問い詰められることになります。永遠に訳の分からぬ裁判に追いかけられ、その罪を問われ続けるのです*1

 

そんな彼が救われる方法があります。

考えてもみれば、それはあまりに単純な救済です。

 

あらゆる物を持ち込んでもいい場所があります。

・・・自室です。

 

むき出しの“わたし”と社会的な『わたし』が分離してしまったなら、それを統合する必要があります。物語の前半で、社会的な『わたし』を形作るのは所有物だと前提されました。さて、むき出しの“わたし”の輪郭線が皮膚だとしたら、社会的な『わたし』の輪郭線はどこにあるのでしょうか?

 

それが、自室の「壁」なのです。

 

つまり、自室の「壁」と肉体の「皮膚」を一致させることこそ、彼に許された唯一の救済なのです。

 

彼は部屋そのものとなり、世界の中に「わたし」という領域を描き出すための「壁」にならねばならなかったのです。

 

 

4.これはフィクションではない

え? やっぱりわからない?

・・・そうですね、わからないかもしれません。

 

わからないなら、考えるのをやめましょう。これは読む人を選ぶ小説で、かなり変な人にしか読むことができない小説です。

こうやって解説しながら、自分の読解がまちがっている可能性に心配しているくらいで、つまり、わたしも読めているのかわからないのです。

 

ただ、強調しておきたいことがあります。

この小説は、決してフィクションではありません。

 

もちろん、ラクダが目の中に入ったり、名刺が名前を盗んだりなんてことは起こりません。その意味では、ノンフィクション小説でもありません。

 

この小説は、あくまで「シュルレアル小説(シュール=リアリズム小説)」なのです。わたしたちの社会で間違いなく発生しているノンフィクショナルな出来事を、シュールレアリズムの文法によって描き出した小説です。目に見える現象は全く違っているかもしれませんが、観念のレベルでは、間違いなくここで描かれたような事態が発生しているのです。

 

 

少し長くなりましたが、以上で「壁」に対する私なりのレビューを終えようと思います(下にTRPGプレイヤー向けのおまけをつけます)。

興味を持たれた方がいたら、是非ともお手に取ってみてください。 

壁 (新潮文庫)

壁 (新潮文庫)

 

 

 

といういつものレビューに蛇足をつけるのがこのブログ。

今日問うておきたいのは、「シュールレアリスムTRPGシナリオなるものは書けるのでしょうか?」という問いかけです。現在、この「壁」という小説をモデルに、私は一つのCoCシナリオを執筆しています。

実は、これがかなり恐ろしいシナリオになりそうで、安部公房という作家の力を改めて再認識させられています。完成したら、誰かしらプレイパートナーを見つけて、このシナリオをプレイし、リプレイを執筆するつもりです。みなさんも、TRPGシナリオの可能性を拡張するという意味でも、こうした小説をモデルにシナリオ執筆に取り組んでみてはいかがでしょうか。

*1:第二部では、主人公を追い詰める存在として警察が利用されています。何れにしても公的な存在がむき出しの個人を否定するのです。