ロールとキャラクターはいかにして対立を乗り越えるのか
さて先日の記事において、わたしは少し変わった主張をしました。
すなわち、「TRPGの独自性は、キャラクターをプレイするという点にこそ残されている」という主張です。
この主張は一見して奇妙な主張にもうつります(実際、末尾で突然キャラクターが重要だと主張している点で、困惑した読者もいたかもしれない)。とりわけ古くからのTRPGプレイヤーの間でも、昨今の動画勢問題においても、キャラクターをプレイすることでゲーム性を損なってしまい、TRPGの本質的面白さが失われてしまうことが嘆かれていることを知っていれば、わたしの主張はやや説明不足と言わざるをえないでしょう。
そこで今日の記事では、先日の記事に対する解題として、わたしなりの立場からロール(役割)とキャラクターの対立を克服し、ゲームの中に収斂させる発想法を詳しく論じようと思います。
ロールに沿ってキャラクターを演じること
そもそもTRPGでロール(役割)を遂行するのではなく、キャラクターを演じることは、主に三つの機能を果たしてくれます。
x. 言葉だけで説明するよりも、芝居を併用した方が、意志決定の結果を簡単に、手早く、生き生きとした形で伝えることが出来る
y. 芝居により、単に情報を伝えるだけでなく、場を盛り上げたり、他の参加者を楽しませたり、といった効果が得られる
z. 芝居により、キャラクターに対する感情移入、一体感が高まる
このうち第一の機能はロール(役割)遂行と対立することはありません。
これはたとえば、鍵開け技能をもっているPCが技能ロールを行うことを他のプレイヤーに提案する時に、次のような言い回しを使うことを言います。
「口外はしないで欲しいけど、探偵稼業には表も裏もあるの。」と言って、ピッキングツールを目線の高さに示しニヤリと笑います。
これに続いてKPの許可が出れば、自然とダイスロールの流れに持ち込むことができるでしょう。
他にもファンタジー系TRPGにおいて、盾役が「◯◯には指一本触れさせん!」とか言いながら立ちはだかってみたり、「悪いが全力で行かせてもらう!」と言いながら攻撃系のセルフバフを全積みしたりするのを例としてあげることができます。
これらのキャラクター演技は、TRPGのゲーム性を汲み取りながら、そのゲーム性を物語や世界観の中で演出するものです。したがってロール(役割)と対立することはありません。
ゲーム性に沿った理性的な意思決定と判断をキャラクター演技に乗せて表現しているだけのことだからです。
キャラクターのためにキャラクターを演じること
しかし一部のキャラクター演技はロール(役割)に反してしまいます。
たとえば次の例を想像してみてください。
アタッカーを担当しているのに、蜘蛛だけは嫌いというキャラクター設定のせいで、蜘蛛型のモンスターとの戦闘では後ろでうずくまっている。
交渉技能を担当しているのだが、嘘をつくのが嫌いというキャラクター設定を優先させ、現在のシーンでは説得ロールを利用しない。
このようにキャラクター演技に熱が入ってくると、そのキャラクターにマッチした行動を採用しようとして、しばしばゲーム性が定めるロール(役割)に反する行動を取ってしまいます。
先日の記事で挙げたRPGとしてのサッカーの例を利用すれば、これがいかにゲーム性を傷つけているのか明らかになります。
シュートを決めるのが仕事のフォワードなのに、コーナーキックから得点を入れるのは美学に反するからゴール前から離れる。
こんなプレイヤーがいたら、チームメンバーは困り果ててしまうことでしょう。
こうしたキャラクター演技は、(ロールを忘れた演技という意味で)自己目的化した“キャラクタープレイ”として批判されてきました。
TRPGは本来、理性的にリスクとリターンを計量して、効率的な役割分担のもとに目的を達成していくゲームだったはず。しかしそこにキャラクターの個性や感情、心といったノイズが加えられることでゲーム性が損なわれてしまうと感じるプレイヤーが多かったのです。
感情と心は意思決定のためにある
わたし自身も以上の批判には概ね同意します。しかしそれと同時に、全く別の可能性を切り開く余地がここに眠っているのではないかと思ってもいるのです。
ここまでロールプレイを理性的なものとして特徴付け、キャラクタープレイを感情的なものとして特徴付けました。感情が理性を邪魔して、客観的に優れた意思決定の採用を困難にする…そんな関係をあえて強調する意図があったからです。
実はこのような理性と感情の関係を否定する学説が存在します。
その学説によると感情や心の動きは、むしろ理性的な意思決定の補助をしていると考えられています(ソマティックマーカー仮説)。典型的な例を見てみましょう。
匂いやその姿に生理的嫌悪感を覚えるおかげで、腐った水や毒虫に接近しないという理性的判断が助長される。
原理としては次のように説明されます。
目の前にあるものと関わった時に、体がどういう反応を示すことになるのか、自動的に脳がシミュレーションを行った結果として、「感情(専門用語としては情動)」が形成される。この機能によって、理性的判断のヒントを得ることができ、人間の意思決定を大いに補助する役割を果たす。
仮説の段階ですが、感情と理性が手を携えて人間を前進させている可能性を学術的に切り取った、非常に魅力的な説です。
ロボットが独自に意思決定を行うことができない理由の一つとして心の問題を扱った議論でも、このソマティックマーカー仮説が重要な役割を果たしています。
さてこの仮説に基づいて、ロールプレイとキャラクタープレイの関係を新しく組み替えてあげようではありませんか。
キャラクタープレイのゲーム化
TRPGが日本で流通してから今に至るまで、キャラクタープレイが批判されてきた理由は「それがゲーム性を損なう」という一点にあります。
しかしもしキャラクターに深く感情移入することで、むしろ理性的なゲームプレイを補助していくように「ゲーム性の再配置」を行ってあげたら、どうなるのでしょうか?
その例はクトゥルフ神話TRPGの多くのシナリオに見ることができます。
ネズミが走り虫が這っている湿気た地下で、先の見えない廊下を進みたいと感じるプレイヤーは希少です。キャラクターに深く感情移入していればしているほど、拒絶感を覚えることでしょう。そして実際にその道を“不用意に”奥まで進めば、不可避的な死がPCを待っていることがよくあります。
しかしわたしが主張しているのは、このような感情の利用に止まりません。
冒頭で紹介した記事でも言及したように、多様な灰色の結論から一つを選び取るためには、感情と価値観が重要な役割を果たし始めます。
例えば交渉することもできる敵対部族を前に、そもそも戦うか交渉するかを決定する場合には、キャラクターのもつ価値観をよく考え行動を決定する必要があるでしょう。またモンスターに襲われ今にも命を落としそうな人を助けようと自分の命を投げ出すか否か、というような決断もキャラクターのもつ価値観への深い感情移入が必要になります。
このような感情と価値判断が関わる意思決定をゲームの中で数値化したり、ルート分岐への影響項目に加えたりすることで、ゲームそのものの達成度に反映させる技術こそ「キャラクター性を意識したゲーム性の再配置」に他なりません。
よりシンプルな形で言い換えれば、次のようになります。
ゲームの目標を達成するために、目的意識に基づく理性的な判断と、キャラクターの性質に依存した感情的判断との両方において、優れたプレイングを行わなければならないようなゲームシナリオが、TRPGの可能性を大いに広げてくれるかもしれないのです。
もしもこうした要素をルールそれ自体として組み込むことに成功したTRPGルールが生み出されれば、それは現在的なTRPG需要にマッチした素晴らしい商品になるのかもしれません。