TRPGをやりたい!

TRPGのトビラをひらこう!

【コラム】TRPGの急速な普及が明らかにした、現状と課題

ニコ動におけるTRPG動画への注目は、たくさんの新規プレイヤーをTRPGに殺到させた。それと同時に、「動画勢」という誹(そし)りが流通し始め、新規プレイヤーを拒絶する風潮も現れ始める。

僕たちが愛していたTRPGとは、いったい「何」であり、TRPGの大量消費時代に求められる役割とは、いったいどういうものなのだろうか?

 

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1.プレイヤー間に生み出される『壁』

2.「動画勢」という揶揄が意味するもの

3.TRPGがつなぐ「仲間」に注目せよ

 

 

プレイヤー間に生み出される『壁』

TRPGのプレイ人口が、急速に増えているのではないか…?

そうした予想は、多くのプレイヤーたちが感じていることだろう。このブログにアクセスする層の半分以上が、18歳から24歳までの若年層に属することも、そうした予感を強く後押しする。

 

いま、TRPGプレイヤーたちは、3つの層に分離しつつある。昔からTRPGに親しんできた、30歳前後かそれ以上の中核的プレイヤー。きっかけはともかく、TRPGの面白さに魅了されて、すっかり布教する側に回ってしまった若手プレイヤーたち(わたしもここに属する)。そして、TRPGの詳しいことはわからないし、ルールブックも買わないけれども、やってみたいし首を突っ込みたい新規参入層。

 

この分離が引き起こしつつある軋轢(あつれき)は、個々の人格の問題などではなく、構造的なものだ。これまで培ってきた「内輪の安定」とハウスルールに安住して、他の卓の雰囲気を否定しがちになってしまった中核プレイヤー。習得したばかりのルールとマスタリングに自負を持ち、曖昧なルール裁定と、リスク無視のロールプレイを非難する若手プレイヤー。TRPGを手頃な「暇つぶし」として消費しようとし、コミュニケーションをおろそかにしてしまいがちの新規参入層。

 

同じテーブルを囲むとき、三つの層の噛み合わないニーズは、いよいよ軋(きし)みをあげ、セッションは不協和音のなか崩壊に追い込まれていく。繰り返される不協和音のセッションは、やがて越えがたい障壁をプレイヤー層の間に生みだし、プレイヤーたちは心地よい「身内」の中に安住の地を見出していく…。

 

いったい、僕たちの楽しかったTRPGは、どこに行ってしまったのだろうか?

 

 

「動画勢」という揶揄が意味するもの

どんなゲームだって、気心の知れた「身内」と一緒にプレイするのが、最も楽しい。

一般的に信じられているこの主張は、しかし、重大な誤りを含んでいる。僕たちはこう問わなければならない。

 

あなたが「身内」と共に遊んでいるのは、本当に「ゲーム」なんだろうか?

 

老人たちの将棋クラブやゲートボールクラブが、ゲームを媒介にした会話の場所にすぎないことは、誰の目にも明らかだ。ゲームハードのある家に、平成初期の子供達が集まっていたことや、雀荘に集う会社員が後を絶たないのも、ほとんどこれと同じ現象だろう。

「身内」におけるTRPGの位置付けは、まさしくこれに対応している。TRPGが人々をつなぎ、友人関係を盛り上げ、刺激の少ない生活に彩(いろど)りを添える。僕たちが期待しているのは、ひょっとしたら、「ゲーム」としてのTRPGではなく、「交流」そのものなのかもしれない。

 

この視点に立つことで、プレイヤー層の間の軋轢(あつれき)は、いよいよ海のごとく越えがたく思えてくる。そもそも、僕たちは、自分たちの島の中で、楽しい時間を過ごしたいのであって、わざわざ海に漕ぎ出して、その先で、言葉も通じない一過性のセッションなんかに身を投じたくはないのだ。

 

古代人が話の通じない人々をバルバロイと呼んだように、TRPGプレイヤーは便利な言葉を開発した。永遠に分かり合えないし、わかりあう必要も、そのための労力をこちら側が支払う必要もない存在。それが「動画勢」だ。

献身的な人々は、わざわざそうした土地に赴き、“ローマ流の”TRPGマナーを講釈している。しかし、本国のTRPG民は、はじめから、彼らを社会に受け入れるつもりなどない。「郷に入りては郷に従え。」ただそれだけを言って、「身内」の交流に安住する。「交流=セッション」する資格があるのは、「身内」のマナーと安定を乱さない者だけだ。

 

しかし、それを責めることは誰にもできない。

きっと、TRPGがこれまでも、これからも担い続けることは、たくさんの「身内」たちに、楽しい時間を提供するということに他ならないだろう。すべてのプレイヤーが、サッカー教室を開講する世界は、やはり何かがゆがんでいる。市井(しせい)のプレイヤーは、のびのびと放埓(ほうらつ)に、TRPGという「交流」を生み出す機会を利用していいはずだ。

 

そう、TRPGは、「交流」を求めるすべての人々に開かれている。

紙とペン、それにダイスがそろったら、僕たちはTRPGをプレイできる。ひょっとしたら、その代わりに、オンラインのコンピューターを使うかもしれないが、道具はたったこれだけだ。広いグラウンドに集まる必要もないし、バットとかグローブなんていう、大きな専用の道具を買う必要もない。

こんな敷居の低い娯楽が、僕たちの日々の交友関係を盛り上げ、彩(いろど)ってくれるというなら、もっとたくさんの人が、その魅力に気づく日も近いかもしれない。

 

 

TRPGがつなぐ「仲間」に注目せよ

しかし、現状は全く逆だ。TRPGは、敷居の高い娯楽だと思われている。その原因は、実際には、たった一つしかない。

 

TRPGをプレイすることで、一緒に笑いあえる、仲間がいない。

 

プレイ人口の少なさは、集団競技の流通を阻害する。

大半のプレイヤーが、TRPGという「ゲーム」をプレイしたいのではなく、TRPGを通じて、気心の知れた仲間たちと「交流」したいのなら、これは致命的な問題だ。

 

「動画勢」と揶揄(やゆ)される人々も、同じ感覚でTRPGをプレイできる仲間さえ見つかれば、なんの問題もないではないか。いま、これが問題視されているのは、趣味が一致するプレイヤーを見つけられていないからにすぎない。

 

TRPGという業界は、これまで、多数の新規ユーザーを獲得するという事態に遭遇してこなかった。このため、こうしたプレイヤーたちの交通整理のノウハウを蓄積していないのだ。TRPG関連の出版社も、あるいはメジャーサークルも、TRPGの面白さを伝えるコンテンツを制作するノウハウには長けている。しかし、今、新たに、様々な趣味を持ったプレイヤーの衝突を避け、円滑なスタートアップを支援する役割を担う、コーディネーターが求められつつあるのかもしれない。

 

それを担うのが、出版社やサークルなのか、あるいは個人なのか、はたまた、ウェブサービスなのか。次代のTRPGのカギを握る存在は、すでに生まれているのかもしれない。

 

 

追記

たくさんの反響をいただき、ありがとうございました。

正直に言って、ここまで多くの方に読まれるものとは予想しておらず、記事の不備を指摘されるにつけ、ありがたくも、申し訳なく感じるところでした。

 

さて、反響をいただく中で、この記事の内容について、修正を要する点を2点、把握いたしました。

第一には、この内容は、オンラインセッションをメインにプレイしている、新規プレイヤーの間で発生している問題と考えられます。コンベンションや体験会などの努力は、地域をベースに、TRPGの交流を広げる取り組みとして、重要な役割を果たしています。

しかし、同時に、そうした会に出席しないプレイヤーの数も相当数に上ると思われます。わたしの記事の趣旨に従えば、そうした場に出てこない人々にとっては、コンベンションなどはなおも敷居が高いのではないか、ということになります。ある人にとっては小さな一歩が、別の人にとっては大きな一歩であることはよくあることです。

せっかく、TRPGを楽しんでくれるなら、「趣味の合う人々の集まり」を見つけやすい、もっと敷居を下げたシステムや、気軽に相談できる場所・キーパーソンなどがある/いるといいのではないか?そして実は、そうした役割を担いうるものは、(引っ込み思案なプレイヤーに利用されていないだけで)すでに生まれているのではないか?と言いたかったのです。

 

第二の修正点は、大量のプレイヤーを獲得した時期がこれまでになかった、という私の誤解です。第一のTRPGブームを経験しなかったわたしは、その頃の熱気をまったく知りません。その頃に、どういった問題が発生し、どういった対策が講じられてきたのかも、まったく知らないのです。

この点は、この記事における最大の誤認と言っていいでしょう。

 

以上の二点を中心に、記事のリライトも考えました。しかし、これだけ読まれてしまったものを修正するのも、読んだタイミングによって読後の意見が分かれてはいけません。

そこで、今回得た情報をもとに、新たなコラムを書くことで、応答に代えさせていただくことにいたしました。

 

今後とも当ブログをどうぞ宜しくお願い申し上げます。

 

 

trpg.hatenablog.com

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