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探索者Hの残した手記:クトゥルフ神話TRPGの世界観に入り込むためのテキスト

私がたどり着いた事実は、できることならば他の誰にも伝えられるべきではない。しかし、私はこうして筆を取らずにはおれない。それは、私が知ってしまったこの世界の理が、どれほど論理的に不整合で、いびつなものであるのかを、自分自身で再認識したいからに他ならない。

不運にもこの手記を手に取った人物がいたならば、あなたが裁定者となって、私の理性の有無を判断してほしい。実際のところ、私はただ、私自身が狂気の中に沈んでしまっただけではないかと、危惧してもいるのだ。

 

私がたどり着いた事実は、すべてひとつの言葉に関係する。その言葉とは、「クトゥルフ」という、どこの言語体系でも発声が容易ではない奇妙な言葉だ。

 

 

1.クトゥルフとグレート・オールド・ワン

「クトゥルフ」。

その響きは、全く謎に包まれている。歴史学的あるいは考古学的に明らかにされている限り、この言葉とそれを示す類似した図像が、世界各地の遺物や、今日の芸術家の作品の中に、唐突に出現することの合理的説明は不可能だ。不可能であるにもかかわらず、「クトゥルフ」は人類史の中に度々姿を現している。

この事態が意味するのは、「クトゥルフ」と呼ばれるなんらかの存在が、人類史の長きにわたって、私たち人類に霊的な影響を与え続けているという可能性だ。私がこれまでに蒐集した考古学的資料から推測するかぎり、「それら」は人類がこの地球に広く分布し始めるより以前には、すでにこの地球に存在したと思われる。そしてその存在は、いまでも時折、思い出したように人類のインスピレーションに強い刺激を与え、時には悪夢を見せて、「それら」の存在を私たち人類に示唆し続けている。

「それら」が人類史以前の地球生物なのだとしたら、「それら」はどこに行ってしまったのだろうか?これは当然抱くべき疑問である。「それら」がただ、「我々の遺伝子に刻まれた記憶」に過ぎないのなら、「それら」はすでにこの地球上に存在しないのだろう。

 

私はこの仮説が現実と一致していることを願ってやまないが、ここにはそれとは全く異なる仮説を論じた不都合な資料がある。

ラバン・シュルズベリイ氏による書籍、『ネクロノミコンにおけるクトゥルフ』(ミスカトニック大学図書館収蔵)によると、「クトゥルフ」を始めとする「それらの存在」は、未だこの地球の地下奥深くに存在し続けているというのだ。また、同氏によると、『ネクロノミコン』や『無名祭祈書』などの奇書には、「それら」と接触するための忌まわしき魔術が記載されているとのことだ。

 

このあたりで、私は一つのことを吐露しなければならない。ここまで「それら」と複数形を用いたのは、私が危惧する存在は「クトゥルフ」と呼ばれる「何か」、ただ一つだけではないことを示唆するためだった。

恐るべき「クトゥルフ」以外にも、同じような「大いなる古の存在(グレート・オールド・ワン)」が複数、今もなお、存在し続けているらしいのだ。

 

 

2.外なる神

なんと恐るべきことか!

しかし、我々が怯えるべきなのは「大いなる古の存在(グレート・オールド・ワン)」だけではない。それらをも凌駕、いや超越した、この宇宙の理ともいうべき「何か」が、この空の彼方、宇宙のどこかに(いや、むしろ宇宙とはそもそも彼ら「外なる存在」そのものなのかもしれない!)、不吉にも存在しているようなのだ。

私はそれを「外なる存在(アウター・ワン)」と呼びたいのだが、その存在を知る者は、しばしば別の表現を使う。

 

「外なる神(アウター・ゴッド)」

 

この表現は、実際、適切かもしれない。

私たちが信じてきた「神」という存在に限りなく近いものでありながら、それはすでに地球人類などという矮小な存在をはるかに凌駕した、理の上位に存在するのだから。

しかし、私はそうしたものの存在を認めたくはない。不都合にも『エイボンの書』において同種の存在が示唆されているのだが、それは様々なホラー小説にゾンビが登場するのと同じような現象かもしれないではないか。その呼称が不都合にも世界の各地で合致しているという事実も、私は単なる偶然の一致とみなして、目と耳をふさいでしまいたい。

そうでもしなければ、この私が信じてきた世界の有り様は、全て崩壊してしまうのだから!

 

 

3.狂信者と人ならざるものたち

しかし、誰しもが私と同じ心境に陥るとは限らない。

むしろこの世界には、こうした不都合な事実を歓迎する集団が存在するらしい。

 

先に言及したシュルズベリイ氏による『ネクロノミコンにおけるクトゥルフ』によれば、「クトゥルフ」をはじめとする「大いなる古の存在(グレート・オールド・ワン)」、あるいは「外なる神(アウター・ゴッド)」に接触を試み、あまつさえ「それら」をこの地球に招来せんとする狂信者の集団が存在するというのだ。

それらの集団は、すでに私たちの愛する人類社会の奥深くまで浸透し、政治団体や警察組織、経済団体などにも構成員を潜入させているという。我々人類の、人類による歴史の蓄積は、今にもかの集団の手によって終わりを迎えようとしているのだ。

 

この事実を受け入れることができるだろうか? 私には到底受け入れることができない。 一つだけ幸いなことは、かの組織もまた、一枚岩ではないということだ。すでに強調したように、「不都合な存在たち」は複数形で表現されるべきものだ。それゆえ、狂信者たちの間にも、派閥なるものが存在しているらしい。ある存在は他の存在と対立し、その存在はまた別の存在と対立している。そうした関係が、狂信者たちの活動を遅らせているというのだ。

しかし、決して楽観視するべきではない。「大いなる存在」を招来するために、狂信者たちは手段を選ばないであろう。儀式にとって最適な日取りというのは、いつも星の動きによって、数十年とか数百年に一日しかないという。その貴重な機会を、狂信者たちが黙って見過ごすはずがない。

場合によっては、「人ならざるもの」の力を借り、万難を排して儀式を断行することだろう。一度それが成功してしまえば、我々人類は、子供の前の蟻とちょうど同じように、「大いなる存在」の無邪気で放埓な振る舞いにより、瞬く間に滅亡してしまうことだろう。

 

 

4.おぞましい存在に立ち向かえ

そんなことが許されるだろうか?

いや、断じて許すべきではない!

私はこの事実を知ってしまった人間として、この地球に蔓延る「忌まわしき存在」を無視することができない。

矮小な人類には「大いなる存在」そのものを破壊することは不可能だ。そうであるならば、私の信じる平穏な生活を守るために、私はかの狂信者たちを、あるいは暗躍する「人ならざるもの」たちを、少しでも妨害しなければならない。

忌まわしき「大いなる存在」たちは、その奔放な好奇心で、人類を惑わせ続けるだろう。そうした魔の手が、いつあなた自身の身にも降りかかるか、知れたものではない

しかし、ああ!「探索者」よ! 今やあなたは私と同じく、この忌まわしき事実を知ってしまった同志だ。どうか「大いなる存在」や狂信者、あるいは「人ならざるもの」たちの前に屈服することなく、抗い続けて欲しい

 

あなたに「我々の信じている本来の神」の導きと守護、そして祝福があらんことを!