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【読書記録】新世界より 漫画版

以前から友人に勧められていたこともあって、日本で漫画喫茶泊をするついでに読んでみました。

 なお、以前「天使の囀り」のレビューで、手放しに称賛した貴志祐介さんの小説がもとになっているので、結構期待して読ませていただきましたよ。

 

まずはいつもどおり、総評を一言で表現しましょう。

アイディア先行で考察が不足した、青少年向け作品、と言う印象です。

 

新世界より(1)

新世界より(1)

 

 

 

1.SFかファンタジーか:その舞台設定

本作の最大の特徴は、その設定にあります。何を隠そうタイトル通り、この物語は「新世界」を舞台にしています。

…では、いったいどんな「新世界」なのでしょうか?

 

第一に、新世界では高度な都市文明は残っていません。人口は極端に減少し、それに伴って人類の生息領域も小さくなっており、交通・通信技術はほとんど完全に失われています。そのくせして、バイオテクノロジーは健在で、どうやら、シークエンシングなどの高速情報処理を必要とする技術は残っているようです。

 

一方、失われた技術の代わりに、呪術が一般化しています。呪術の流通は、原動機の必要をなくしたほか、精密な作業機械などの運用を不必要なものにしました。初等教育は呪術の制御の仕方を学ぶことが最重要視され、自然科学や社会科学などの学問の基礎知識は軽視されているようです。

 

つまり、村の間の移動はほとんどなく、小さな村の中で、千人にも満たないだろう人々が、医学・生物学的知識だけを残した状態で、呪術を用いた生産活動を行いながら、生活している世界です。

 

さらに、この世界には、人類以外の知的生物が存在します。その「バケネズミ」と呼ばれる生物は、インフラの修繕や人夫が必要な労役などに利用される“奴隷種族”となっています。呪術を行使できないため、呪術を使える人類を神と崇め、絶対的な服従を誓っているのです。

 

総合的に勘案すると、設定的には多少無理があると言わざるを得ませんが、そこはフィクションなので我慢しましょう。

 

 

2.物語の主題は「生存のための“争い”」

さて、この物語の中で、主人公は二つの大きな「生存のための“争い”」に直面します。

 

第一には、呪術の暴走をめぐる争いが生じます。

呪術という特異な能力は、ともすれば容易に人も殺せる恐ろしい能力です。それゆえ、人々は呪術の適切な制御を学ぶのですが、それでも、能力が暴走してしまう人物を排除しなければなりません。この仕組みは人類の生存と統治のために必要不可欠なものです。

 

第二には、バケネズミの生存をかけた争いが生じます。

知性を持ちつつも、奴隷に貶められたバケネズミたちは、確実にその不満を溜め込みます。もしもその不満が爆発すれば?当然、主従を逆転するべく、戦争が引き起こされてしまうのです。

 

主人公たちが立ち向かうのは、この二つの「生存のための“争い”」です。

幼少期から、友人たちが突如消滅し、その記憶を改竄されるという事態を経験し続ける主人公たちは、やがて違和感に気づき、生存に必要不可欠なこの「排除の機構」に疑問をぶつけはじめます。

 

種としての人類の生存を取るか、個人の生命を取るか。

そして、それを共存させる方法がないのか。

 

主人公が直面する問題は、極めて本質的なものです。

 

この困難な問題に直面しているなか、種の生存を目指す存在が人類だけではないことを唐突に思い知らされることになります。それが、バケネズミの反乱です。

 

奴隷=従属が当然と考えられていた生物が、反旗を翻して、逆に人類を支配しようと試みます。呪術をもった人間を出し抜いたバケネズミたちによって、村は壊滅的危機に陥ってしまうのです。

主人公たちには人類の生存をかけた決断が求められることになり、「生き残ること」がもつ本当の意義を見出していくことになります。

 

 

3.「問いかけ」と「提案」:考察不足の理由

ところで、以上の設定、何も「新世界」のお話でないことは明らかです。つまり、非常に極端な形で、管理型社会を誇張しているだけのことです。

 

まず、異常な人間を排除するという現象は、魔女裁判、アサイラム、あるいは警察による拘束など、姿を変えて、私たちの社会にも存在しています。社会に害をなす恐れのある人物をあらかじめ排除するという仕組みは、遺伝子情報の解析が進んだ00年代以降、急速に現実味を増しつつあります。現代における優生学の復権について、生命倫理学者を中心に警鐘が鳴らされ続けてさえいるのですから。

 

抽象的に言えば、ここで発生するのは、統治者による権力が、被統治者の「可能性」に対して行使されるという事態です。人間性や生物としての個体特徴=ズレをも許さず、矯正しようという試みは、学校教育という現象の基本思想と評価することもできます(哲学的には〈規律=訓練〉と呼ばれます。ミッシェル=フーコーあたりを読みましょう)。

 

一方で、階級問題に対する権力と統治の問題は、マルクス主義以前から指摘され続けたことです。本作では、対立は革命によって乗り越えられるとしたマルクス主義的発想を踏襲して、バケネズミによる寡頭制社会民主主義革命が発生したわけです。次にはバケネズミ内の階級差が共産主義革命でも引き起こすんでしょうか。

 

というわけで、実は、この物語で扱われている問題は、社会哲学的に言えば、どれだけおおめに見ても、1960年代までには出揃った、左派思想的問題です。

 

ですから、当然、現在の最先端を進むアーティストとしては、こうした課題に対する克服を提案することが求められます。

果たして、「社会(種族)のため」というロジックは、どこまで許されるのでしょうか?

そして「集団的排除」が生み出す軋轢を、人類は克服できるのでしょうか?

 

この物語の残念なところは、こうした伝統的な課題を、投げかけるにとどまっている点にあります。たしかに、問いかけることは重要な仕事ですが、それにしても、問いかけが陳腐すぎるのです。

 

その意味では、設定が甘かったと言わざるを得ないでしょう。結局、本作では、「自分たちが理想とする価値観を実現するために、行動し続けなければならない」というというメッセージが結論になっています。

おそらく、主人公のことがかなり気に入っていたのでしょう。あえて一つを選ぶことは、反対の立場からの批判を招きます。すべての視点から正しくあることはできず、正しくない主人公は支持を失います。そうした点からいっても、社会哲学的課題を扱った物語としては、ぎりぎり及第点といったところでしょうか。結果として、非常に人間らしい、好感を持てる登場人物たちが作り上げられた点では、成功していると評価してもいいのかもしれませんが。

 

なんにせよ、小説版を読まなければ最終的な結論を下すことはできないでしょう。

現時点では、児童から青少年向けの教育図書という印象が拭えないのですが、そのうち読んでみることにするかもしれません。

 

新世界より コミック 全7巻完結セット (週刊少年マガジンKC)

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