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クトゥルフ神話TRPGシナリオ「肝試しのあと」公開

一日かけて、シナリオの執筆を済ませました。

クトゥルフ神話TRPG - TRPG神々の黄昏(リスト内「肝試しのあと」)

ホラー小説を基にしたシナリオだったので、話の筋が概ね定まっており、さすがに執筆スピードが速かったです。

なお、プレイには右にあるルールブックに加え、以下の二つのサプリメントが必要です。

クトゥルフ神話TRPG マレウス・モンストロルム (ログインテーブルトークRPGシリーズ)

クトゥルフ神話TRPG クトゥルフ2010 (ログインテーブルトークRPGシリーズ)

 

さて、昨日報告したように、今回のシナリオは、こちらの名作

祝山(いわいやま) (光文社文庫)

祝山(いわいやま) (光文社文庫)

 

 を基にしています。

それゆえ、このシナリオをプレイすると、部分的に「祝山」のネタバレになってしまうところがあります。しかし、前回の記事で報告したように、この作品のホラー表現の巧みさにかかれば、おそらく話の筋を知っているということはさして問題にならないのではないでしょうか。

何れにしても、ネタバレが嫌いな方は、このシナリオをプレイする前に、こちらの小説を読んでおくことをお勧めします。

 

さて、シナリオのネタバレを含み…ませんが、ちょっと書いてみて感じたことを整理しておきます。

 

1.Jホラーはやっぱりすごい

まずはじめに感じたのは、やはりこの点です。この直前に、1950年代アメリカンホラーを読んでいたのですが、それとはもう大違いです。これまでの人生経験上、人格的にモラルハザードが進んでいる私にとって、アメリカンホラーが描く人間の闇をえぐるような恐怖は、親和性が高すぎました。つまり、怖くなく、むしろ狂人の心理が手に取るようにわかる、という状況でした。

 

片やJホラー。ぞっとさせられました。シナリオを書きながら、それぞれの場面にクトゥルフ的恐怖をこそっと忍ばせていくのですが、そうしながらも、「これが恐怖の構造なのかー」と感心させられることが非常に多かったです。「日常を侵食する」というのが、Jホラーのやり方で、これを上手にやられるとなかなかぞっとするものです。

深夜2時に部屋の電気を消してホラーシナリオを執筆するというマゾプレイのせいもあったのかもしれませんが、とにかく怖かった…。

 

2.クトゥルフ的恐怖というカラー

そうこうしているうちに、あることに気がつきました。

クトゥルフ神話というスタイルの恐怖は、大部分「人知の及ばなさ」と「スプラッタ的残酷さ」に多くを依存しているように思うのです。一言でまとめれば、「内臓と宇宙の恐怖」という感じでしょうか。

大概の神話生物は粘膜質(粘膜質は本来「内」臓の特徴で、「外」に露出しているのはおぞましさを意味することになる)ですし、いつだって邪神の被害者は血液を撒き散らしながら死んでいきます。それでいて、そうした恐怖の源泉は遙か宇宙の彼方の存在であるアザトースと結びついていて、人知をはるかにしのいでいます。

 

これらの存在、つまり、内臓と血液を撒き散らして死んでいく人間と、人知をしのいだ奇怪な神話生物という二つは、圧倒的に「日常の外」に存在するものです。それゆえ、クトゥルフ神話TRPGでは、一つのセッションの間、卓が一種の「異空間」の様相を呈します。つまり、そういう非日常に属する存在が、大手を振って歩いていられる、特殊な空間になってしまうのです。

こうなると、それはディズニーランドと同じような、アトラクションに化けてしまいます。つまり、ディズニーランドでネズミ耳をつけていても問題ないように、クトゥルフ神話TRPGで内臓を撒き散らしても、何の問題もないのです。こうなってしまうと、恐怖の印象は完全に薄れ、むしろ一種の喜劇めいてきます。

 

 

3.事件はどこまで解決するべきか

そこで問題になるのが、始点と終点を持った、完全完結型シナリオのもつ恐怖の力の弱さです。たとえば、「孤島もの」や「館もの」なら、そこから脱出すれば、すべての生活は日常の姿を保ってくれています。こうしたシナリオでは、最大の目標は脱出に置かれます。逃げ切ることに成功しさえすれば、暖かい日常が待っているのですから。

 

しかし、Jホラーをクトゥルフ神話TRPG化するなら、こんなことをやってはいけません。まさしく生活しているその場所に、たとえば食器洗いをしている時とか、テレビに向かってザッピングしている時とか、そういうタイミングこそ、恐怖の生まれるべき場面なのです。

 

この問題意識から生まれたのが、「肝試しの『あと』」というタイトルです。肝試しのとき、その廃墟だけに霊的な何かがいる、というのは、Jホラーの良さを反映していません。今回のシナリオでは、ほとんどの恐怖演出を原作の『祝山』に依存し、その問題の核心部分にだけ、クトゥルフ神話要素を加えましたが、今後は自分のオリジナルシナリオを書く際にも、こうした点を意識して書ければな、と考えさせられました。

 

今回のシナリオでも、恐怖の主要な場面は日常の生活の中にあります。さらに、邪神は排除できません。つまり、事件のすべては解決できず、私たちの世界の中に、邪神はひっそりと息をし続けます。そうした存在と共に生きることが、私たち日本人の持ちがちな世界観なのです。

 

人の小説からゲームシナリオを書くという作業は、なかなか得るものの多い作業でした。引き続きホラーを読み漁りながら、シナリオを執筆し続けようと思います。

 

 

追記

このシナリオのリプレイを公開しています。 

trpg.hatenablog.com