1920年代アーカムでのマスタリングへ向けて(1)
急遽、クトゥルフ神話TRPGのセッションをやることになりました。
…と思ったら、結局やらないことになりました。一晩かけて寝ずの準備をしたのに、全部ぱぁに。
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…まあ、それはいいとしましょう。
プレイヤーたちの中に、熱心なアーカムファンがいると聞いていて、セッションするなら1920年代アメリカ、舞台はアーカムと決めていました。
それで、ジャズエイジを舞台にしたサンプルシナリオ「死者のストンプ」を読み込んでおき、これだけでは物足りないだろうということで、他のシナリオを「アーカム・アレンジ」して続けてプレイさせてあげよう、と考えました。
折良く、先日、いつもソロプレイでクトゥルフのマスタリング練習に付き合ってくれている友人とプレイしようとした、「クトゥルフ神話TRPGやろうず」内の、O-kumaさんによるフリーシナリオ「とおりゃんせ」がPC画面に開きっぱなしになっていました。
…んー、パワーボンドっぽいけど、やってみましょうか。
というわけで、「とおりゃんせ」の改変作業を開始したのが深夜5時。こりゃぁ骨だぜ。
そもそもフリーシナリオ「とおりゃんせ」は、ニコ動に投稿されているリプレイ動画、「ふたりでクトゥルフ」シリーズで使われた、ジャパニーズホラーっぽいシナリオです。
この動画、クトゥルフ初心者のわたしにとっては、とても勉強になる動画シリーズでした。この人の続編(更新停滞中ですが→2015.06.29追記 更新再開されました!)である、「わたしのクトゥルフ」シリーズも、GMの勉強として、非常に良いシリーズに仕上がっていきそうです。
それはさておき。
この、現代さいたまシナリオを、1920年代アーカムに連れていくというのは、結構難のあるパワーボンドでした。
1.障壁そのいち:寺と教会
一番初めに引っかかったのは、寺と教会の性質の違いです。
アーカムには当然寺などなく、教会しかありません。それゆえ、現代日本シナリオで寺が果たす役割を教会が果たさなければなりません。
…しかし、教会がわけのわからん秘術的な儀式を執り行うかね!?
日本の寺や神社なら、人身供養とか、お神酒を四方にぶちまけて呪文唱えてあの白い紙がついた棒をワシャワシャ振ってなんかを鎮めるとか、そういうことをいかにもやりそうです。むしろ過去にはそういう役割ばかり担ってきたのではないか、とすら言えます。
一方の教会は、そういった秘術的な活動は徹底的に嫌います。そうしたわけのわからない儀式はブードゥーやネイティブ・アメリカンの仕事であって、アメリカのプロテスタント、いわゆるWASPは、内省して、教会で懺悔していればいいわけです。夜な夜な人形を池に沈めたりなど、やるわけがありません。せいぜいのところ、十字架持って聖水かけて、なんとかかんとか叫ぶくらいが限界です。邪神に無力な宗教だなぁ。
その結果、シナリオにリアリティを持たせるためには、寺の役割を他の組織に引き渡さなければなりません。しかし、まだまだ人種差別がひどい時代です。ブードゥーやネイティブ・アメリカンにその仕事をさせると、社会的権威がまったくない集団に重要な仕事を委ねることになります。すると当然、シナリオの他の部分との間に『きしみ』を生じ始めるわけで…。
2.障壁そのに:民話の記録
次に浮かび上がった課題は、日本と違って、歴史的に土地を所有していた集団が違う、という、アメリカ独自の問題に由来します。
日本では、江戸時代の伝承がそのままの形で現在に伝わっていても、なんの違和感も生じません。なんといっても、この島国に住む集団は基本的には変わっていないのですから。
しかし、アメリカは違います。
19世紀を通じて、アメリカはそのフロンティアを西に移していき、次第に白人の住む領域を増やしていきました。つまり、土地によっては、過去の伝承が、インディアンの強制退去とともに(一時的に)失われている可能性があるのです。それゆえ、古い伝承が今回の問題と関わっているかもしれない、という種類の情報提供をする際の条件付けがかなり難しくなります。
3.今日の本題
しかし、わたしは研究費ももらっていた、元プロの人類学者なので、このあたりの事情をちゃんと調べました。
まず、ネイティブ・アメリカンの民話を収集しているジャーナルとして真っ先に浮かぶのが、Journal of American Folkloreです。これのVol.1が出版されたのは、1888年のことです。ネイティブ・アメリカンの民話収集は、1920年代の段階で、30年以上の歴史を持っていたことになります。
また、1902年にアメリカ文化人類学会(AAA)が成立しています。以後、人類学者Anthropologistの名称は正式のものになります。このときの副会長を務めたフランツ・ボアズという人物が、アメリカの人類学の祖といわれていて、現在の文化人類学コースでも必ず勉強する人物です。そのボアズ先生の主著に「北米インディアンの神話文化」というものがあります(2013年邦訳済み)。
彼が唱えたのは、文化相対主義というもので、つまりは「白人文化が優れていて他が劣っている」という進化論的な文化優劣の文句を否定し、「それぞれの文化が独自性をもって発展しているにすぎない」として、複数の文化を同じテーブルの上に並列させる考え方でした。この考え方は、20世紀前半をかけてゆっくりと市民にも浸透していき、20世紀後半の平等意識に基づく反差別運動につながっていきます。
20世紀初頭の段階で、民話収集を専門とする学術ジャーナルと、非差別的学術思想がすでに存在していた、という点が重要です。
この点を考慮するなら、探索者たちが〈図書館〉ロールに成功すれば、アメリカの民話を収集した学術ジャーナルJournal of American Folklore内に、アーカムの民話を取材した学者による、民話の報告と分析を行った論文が掲載されていた、という扱いにすることが可能です。しかし、学術ジャーナルは通常大学図書館でしかアクセスすることができないので、ミスカトニック大学図書館を利用することが条件になるでしょう。
また、黒人差別をはじめ有色人種差別が横行していたとはいえ、そうした人々に理解ある知識人階級の人物が登場することに問題は生じません。ボアズ先生が黒人文化を賞賛する演説を行ったことで知られているように、すでに知識人、特に人類学の素養のある人々の間では、「有色人種劣等説」は否定されていたのですから。
これで、元のシナリオ「とおりゃんせ」内に登場する、「童話としての民話伝承」という線はリアリティを失うことになります。探索者たちは、学術ジャーナルの中に、インディアンの古い民話の簡潔な報告を見ることになるのです。
一方で、「かつて儀式を行ったポジションの前市長が、事情をよく知るインディアンの女性と親しくしていた」という設定は矛盾なく成立します。市長になるほどの文化人で、儀式を行えるほど民間伝承に通じた人物ならば、人類学の素養があったとみてしかるべきでしょう。そして、この有色人種の女性と密会を繰り返す様が、スキャンダルを呼ぶ…と。
ひとまず矛盾のない時代設定にできそうだな…。
そう考えていたところで、わたしはあることに気づいてしまったのです。