TRPGの「楽しさ」を実現するための社会理論
「TRPGなんてな、参加者全員が楽しけりゃいいんだよ!」
……それはそうだと思うんですが、僕のように空気読むのとかが得意じゃない人には、それは結構な難題です。みなさんもこう思ったことはありませんか?
「そんなこと言われても、それはお前が楽しいだけじゃん」
「そんな一緒にお酒飲んだら仲良しみたいなこと言われても……」
「ところで『楽しい』ってどうやったら作れるんですか?」
そこで立ち止まる必要ねぇだろと、大多数の人が思うでしょう。そうなんです、その通りなんです。でも、中には立ち止まってしまう気にしぃな人もいるのです。
そこで、今日はそんな人たちのごく一部に届く幸福をめぐる社会理論について紹介してみることで、そんな人たちの悩みに寄り添いたいと思います(寄り添うとは言っていない)。
- 「楽しい」はプレイヤーが持つ自然権だ!
- 自然権と社会契約理論
- 楽遊権とセッション契約理論
- 参加者全員を楽しませるために柔軟に進行する?
- 結局どうしたらいいのさ
- 社会契約論が教えてくれること
- ゲームマスターに権力が集中しすぎている説
- まとめ